暮らしのWEBエッセイ
物事を続けるコツ、それは「あえてショボい回を作ること」である。
「折り紙で踏切くん作ってほしい」 5歳児からの、2024年最初の無茶振りだった。
今から書く記号の意味がわかる人は、同志である。 PZ01、MT06×2、DB02、WN05。
先月、次男が二歳になった。 誕生日。どんな一日だったかというと、それはまあボロボロの一日だった。
煮りんごを作った。 と書くとなんていうことのないことのようであるが、りんご2玉の歴史は長かった。
そろそろお昼寝の時間だな。
この夏、狂ったように同じ鉄道博物館に通っていた。5歳長男がどうしてもそこに行きたいと毎週末リクエストしてくるのである。
11月の驚くほどあたたかい昼下がり、1歳次男がベビーカーで寝始めた。
5歳長男が嬉々として尋ねてきた。 「ママは大人になったら何の運転手になりたい?」
「やりたいことリスト100」を唐突に書き始めた日があった。めちゃくちゃ疲れていたのだ。
家から出ない夏休みを過ごしている。
SNSからは、何もわからない。 とある朝の私のツイート、もといポストをご覧ください。
旬、というものを強く意識するようになったのは、一人暮らしを始めてからだった。
隣の芝生はなんだかんだ青く、ないものはねだりたい。それが人間というものである。
世の中には無数の呪いがある。 大人になったらもう友達はできないし成長も鈍化するし一年は短くなるばかりで新しいことなんて滅多にない。 だが本当にそうだろうか?
いろんなことを、ちょっとずつ諦めてしまう日々だなぁ。 次男が一歳になり、トコトコ歩くようになった。歩くだけでなく、そこらじゅう登り、あらゆるものを引っ張り出し、片っ端から口に入れる。
目的は虎屋の羊羹だった。 義父の誕生日プレゼントに、虎屋の羊羹を買いに行こう。そう思い立ち、秋の週末、家族四人で新宿伊勢丹に向かった。
月曜日の朝は、たいてい少し哀しい気持ちが混ざっている。
生活への愛、それは今という時間への研ぎ澄まされた集中力に他ならないのだ。
久々に自由時間を過ごした。 夫が土曜日同窓会に行ったので、私は日曜日にひとり時間をもらった(こういう過ごし方、常に四人で行動する我が家にはめったにない!)
破滅的においしいコーヒーを飲んでしまった。 正直、今までで一番だった。
毎日、膨大な愛の言葉を注がれている。 「ママ、大好き」「大好きだよ…」「大大大好き」
2022年の夏が終わる。 私は何をしていたか? 読書である。
夏の週末をどう過ごすか。 大人二人なら一日中家にいてもなんてことない。涼しくてきれいな部屋で読書に映画三昧…想像しただけで贅沢で優雅でしかないのだが、〇歳四歳男子とともに家に籠るとジャングルのように散らかっていく部屋で過酷な持久戦となる。
「必ず折り畳み傘を持ち歩いてね、余計な傘を買わないでね」
自由を感じた瞬間、というものでいくつか記憶に残っているものがある。
赤ちゃんのお世話が大変で衝撃を受けている。
大晦日も、なんら変わりない冬の一日として終わった気がした。
久々に赤子を育てている。 新生児の育児についていえば、感想は前回と同じで「かわいい」以外にない。しいていえば、寝不足になるのが多少「大変」ともいえるが、それすらもちょうどいいスパイスにすぎない。鰻重における山椒のようなものだ。
読者の皆さん、一日遅れでメリークリスマス。 クリスマスといえばプレゼントですが、私がいま一番欲しいものといえば、もちろんお皿でも服でも化粧品でもなく、睡眠時間である。