世の中には無数の呪いがある。
大人になったらもう友達はできないし成長も鈍化するし一年は短くなるばかりで新しいことなんて滅多にない。
だが本当にそうだろうか?
私は34歳の一年もまた、新しい世界線に立ち、めくるめく成長を遂げたのだ。
自分のブログを読むのが好きである。
2020年、2021年。昔の日記を読むと、愛するお菓子作りに紅茶、料理にベランダ園芸、そして至福のお皿集め……日々は好きなことであふれていた。
こんなふうに物を置けたし、あんなお皿が使えたし、こんなに時間があったんだ……
今や、二匹の怪獣が暴れている。とりわけ一歳はどこにでもよじ登る。食器棚もからっぽ、日々の食事は宅食とレトルトに頼り、ベランダの花も全部枯れた。ジャムを煮る余裕もケーキを焼く気力もなく、りんごはひたすら皮を剥いて食べるのみ(それすら一念発起してやっている!)
では、私の2022年は空っぽだったのか?
否である。
そう、必要に迫られれば、工夫は生み出され技術は自ずと磨かれる。まもなく35歳となる私も確実に一つ成長したのだ。
簡単に言おう。
一見イケてない店で、試着せずとも無難な服を買えるようになった。
服を買う。
そのハードルを限りなく高くしているのが試着である。接客である。なんか面倒で服を買わなくなる。するとどうなるか。ちゃんとした服を買うためのちゃんとした服がない。おしゃれな服屋に入るためのおしゃれな服がない。負の連鎖が服を買うハードルをますます上げていく。
試着は大変である。靴を脱いで入室し、今着ている服を全部脱いで(冬なんてコートから!)フェイスカバーをかぶり新しい服を着て鏡を確認し、ときに店員さんの「いかがですか〜?」に程よく応対しつつ、脱ぎまた元の服を全部着る。そんな大騒動を一着ごとに繰り広げながら、そのアイテムを買うべきか否かを決定する。
ミッションが重すぎる。
ほぼほぼインポッシブルだと思う。加えて鏡に映った自分にも年々ときめかなくなる。かわいい!と思って手にした服を、先の工程通り苦労して試着してみればなんか笑えるという事件が頻発する。試着室の鏡でこれは似合ってる!と確認どころか興奮までして買ったはずなのに家に帰って着てみたら変だったという世紀のマジック。試着した意味とは。
ここ数年、「服を買う」という行為はだから私にとって、
面倒>>>>>>>ときめき
であり、
義務>>>>>>>楽しみ
と化していた。
それでも時に力を振り絞って服屋に入り試着というミッションをこなし、社会との折り合いをつけてきた。裸で街を歩くわけにはいかないからだ。だが2022年、常に四歳〇歳と生活している私はとうとう新しいステージに到達した。
試着しない。
近所のショッピングモール、ジャガイモやネギを買った足で、そのまま服を調達する。四歳と手を繋ぎ、〇歳をベビーカーに乗せ、サーッと入店し、二、三着を手に取り、即座にレジへ向かう。まるでドライブスルーのように服を買う。
袋が有料となったので、たたんでもらったセーターやスカートはそのままジャガイモやネギと共にエコバッグにおさまる。
我ながら革命的だ。
今までなら確実にここでは買わないという、一見してとてもイケていない服屋が、重要な拠点となる。マネキンが不思議なコーデを展開していても、こんな装いで歩いてたら笑えるだろうと突っ込みたくなるアイテムが並んでいても、謙虚かつ真摯な姿勢で臨まなければならない。その混沌の中に確実に存在するのだ、
運命の、もとい無難な服が。
目指すのはオシャレではない。変でなければいい、という更なる高みの世界がある。
こういう首周りのセーターに、こんな感じのスカートを合わせておけばちょっとキレイめカジュアルなママっぽい服装になるな……
予想をつけ、自分が好きな淡い色合いの組み合わせを選ぶ。ベビーカーを押しながら目視だけで選定する。持ったときの重み、鏡の前でさっと当てればだいたい脳内イメージが完成する。
で、そんな感じで入手した服がですね、けっこうすごくいい感じなのである。無難だけど程よく小綺麗でしかし公園や児童館でも浮かない。サイズもピッタリ!なかなか似合ってる!(自画自賛)
実際、人にも褒められる。みんなお世辞だと思うがそれでも満足である。「イケてない服屋で試着せずに無難な服を買う技術」を、私は確実に会得したのだ。ついでに「丈がピッタリで重くないコートをネットで探して買う技術」も。成長が著しい。
育児中のため仕方なくこうやって服を買ってるんです、というスタンス(誰向け)であるが、実際のところこれがラクすぎて昔には戻れない。
これからも試着しないでやってこうッ!!!
完全に明るい未来が開けた2022年であった。
12月25日、クリスマスである。
私は試着室にいた。義母がかわいい下着を買ってくれると言う。試着をするのもユニクロ以外の下着を買うのも一億年ぶりくらいである。
「ちょっと素敵な下着もたまにはいいわよね!誰に見せるわけでもないんだけどね!」
「ほんとですね〜!」
「クリスマスに新しい下着を買うの、おすすめですよ」
義母と私と店員さんとで繰り広げられる女子トーク。実際、かわいい下着を身につけて、私の心は確実に躍った。華やかな下着、なんていいものなんだろうッ!見えない部分こそお洒落をする、そういうのってなんだか素敵な大人の女性みたいではないか…
下着。それは私が自ら「買おう!」と思うことのないアイテムである。保守交換のためユニクロで調達することはあっても、自分でかわいい下着を買おうと思い立つことはまずない。化粧品もない。皿ならあるが。
そんなこんなで、久々にすてきな下着を試着していい気分になった。そこまではいい。問題はその後である。
なんだこのボロ切れは…
自分のまとっていた授乳ブラ(この一年間酷使されてきた)が試着室の蛍光灯の元で明らかになる。家の脱衣所の照明は電球色で程よく薄暗く、いつも息子二人の世話でバタバタしているため、よく見たことがなかったのだ。まさかこんな色褪せてヨレヨレの布切れを巻いていたとは……
恐ろしさに震える。と同時に、私は改めて悟ったのだ。
試着しなければならない。
試着室に立つこと。試合に出ること。その勇気と煩雑さをもって、ようやく客観視できる自らの出たち。全身鏡を前に顧みることができる、荒涼たる現実。
そう、思えば美容にもお洒落にも興味が湧かないまま、35年が経とうとしている。
言うまでもないが2022年も補充以外で化粧品を買ったことは一度もなかった。なんなら六年前に買ったアイシャドウを使い続けている(食べ物ならとっくにお腹を下している!)
今年こそ美容やオシャレに少しは目覚めたい。せめて半目くらい開けたい。
結局のところ何ひとつ成長していない2022年であった。でも楽しかったです。今年もどうぞよろしくお願いします。
(まずは買ってもらった素敵な下着の値札を外すところからスタートだ……!)
Sweet+++ tea time
ayako
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