夫と一緒に暮らして、7年目になった。
喧嘩をしたことがない。前にもそう書いた気がするが、その記録はなお続いている。
一歳半の王子は、意味のある言葉もない言葉も、とにかくよくしゃべる。散歩中も絵本を読んでるときも、とにかく声を発している。
「ブーブーッ!バスッ!バスゥ!にゃんにゃん!トッケィ(時計)!ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜!ガタゴトガタゴト…わんわん!バスゥ!ラリラリラリラリ〜!ブーブーッ!」
リアルにこんな感じである。静寂は宇宙より遠い。見たままの単語をどんどん発し、あげたい声をあげ、思いつくままにしゃべり続ける。
可愛い。言うまでもないがこれがめちゃくちゃ可愛い。すべては彼が1歳児だから成立しているキュートさである。成人男性が同じ言葉を発しながら歩いていた場合、純度120%の「変質者」が完成する。
元旦の昨日、三人で日本橋を散歩していた。王子がめずらしく夕寝をしたので、夫とルノアールに入った。
至福のお茶時間を過ごしたわけであるが、それは今日の本題ではない。
ウェイターさんがテーブルに置いた瞬間から、私は「あ」と思っていた。
コーヒーフレッシュとかシュガーが入ったこのトレーの存在についてである。
(あ、新幹線に似てる…)
意味がわからない。そうだろう。私だって意味はわからない。直感的にそう思ったというだけの話だ。理屈などない。新年からブログがぶっ飛びすぎているが、嘘をついても仕方がない。
当然であるが、私はその感想を口にしなかった。なぜなら大人だからである。
「これ新幹線に似てるね」
と突然口にするのは「ブッブーッ!わんわんわんわん!ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜!」と突然口走るようなものである。怪奇でしかない。思いついたことを次から次へ口にするのは大人のコミュニケーションではない。相手に恐怖を与えたり、どういう意味…?と会話の負荷を与えるのが目的ではないからだ。
おだやかに時は流れる。静かで平和で、常識の膜に包まれた喫茶時間。
夫はスマホを眺め、私は本を読みつつ、ようするに各々過ごしている。お互い暇であった。サンドイッチも食べ終えた。何か話したい気もする。新年の抱負などふわっとした話はしたが、それも途絶えてしまった。新たな話題が欲されてる気がした。
もう、言ってしまえばいい。私は気が大きくなっていた。大人になったからといって、素直な欲求を我慢していれば、いずれ自分を失うだろう。常識の膜をやぶらぬようビクビクするのはもうやめよう。だってもう2020年である。
「それ、新幹線に似てるよね!」
私は言った。思ったままに発した。ラリラリラリ。
夫はスマホから顔を上げ、こともなげにトレーの中をのぞくと、コーヒーフレッシュ一つを指差して言った。
「これが座席ってこと?」
「うん」
「でもなんで新幹線?踊り子号でもいいじゃん」
乗り物として完全に認められていた。
「いや、色かな。なんとなく新幹線だと思ったんだ…」
「へぇ〜そうなんだ。いいね」
夫はゆっくりとした所作で、スマホへと戻っていった。1mmも動じていなかった。暴風雨に降られようと、突風に吹かれようと、雪が積もろうと山は動かない。微動だにしない。夫は山であった。
夫と一緒に暮らして、7年目になった。
喧嘩をしたことがない。前にもそう書いた気がするが、その記録はなお続いている。
私がプリプリしようと、突飛な発言をしようと、一切動じることがない。なぜなら山だから。
カオスと化した棚を片付けてほしい、6年間一度も触っていない本やCDを処分してほしい。何度頼んでも一切動じることがない。なぜなら山だから。
おっと気づいたら悪口になっているではないか。たまには自分への愛を語ってほしいと夫に言われ書き始めた記事であった。
「山」はれっきとした褒め言葉に分類される。
2020年も、山と小さな怪獣との日々を綴るこのブログ、どうぞ読みに来てね。
Sweet+++ tea time
ayako
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