暮らしのWEBエッセイ

ミシンと刺繍と外国語の世界。楽しさが弾ける日々の話

2025年1月、それは記念すべき月であった。 私に(まとまった)自由時間が戻ってきたのである。

私はこうして春の訪れを知る

久々にNHKの語学テキストを買った。英語とロシア語。これが何を意味するか。

生まれて初めて東雲(しののめ)駅に行ってみた話

江東区に、東雲(しののめ)というかわいい名前の駅がある。 年末のある日、その東雲に初めて用事があり、朝からバスに乗って家族で出かけた。

疲れない生き方のコツを6歳の息子に教えてもらった日

「タクシーは疲れちゃうからバスがいいなぁ」 早いか遅いか。遠回りじゃないか効率的か。そんなふうに行き方を考える私とは、違う世界を生きているのだ。

暇なのに忙しい、ということがあり得ると知った36歳の冬の話

毎年、冬になると直面する。ハンドクリームをいつ塗ったら良いのか問題。

ラグという実験

春に引っ越してきて、初めて家にラグ(というのかカーペットなのか絨毯なのか)なるものを導入した。

美しく優しい買い物文

9時近くまで眠り、ゆっくり朝食をとる。これだけでもう、週末は十分満喫したといえる。

最適なタイミングで食べるシナモンロールの実践

美味しいものを最適なタイミングで食べる。

結婚11年目の理想と現実

子どもを寝かしつけたあと、如何に過ごすか。

6歳の誕生日に課された難題

先日、といっても1ヶ月以上前のことであるが、長男が6歳になった。

奇跡を見守る日々なのだ。5歳と2歳と過ごした春休みの話

一ヶ月以上もブログを更新できなかった。 そのあいだ私は引っ越しをし、幼稚園は春休みに突入した。恐るべきイベントが二つも続いたのだ。

物事を続けるコツについて(36歳のバースデー日記)

物事を続けるコツ、それは「あえてショボい回を作ること」である。

踏切くんと今年の目標

「折り紙で踏切くん作ってほしい」 5歳児からの、2024年最初の無茶振りだった。

新年の抱負ならぬ、新しい欲望の出現について

今から書く記号の意味がわかる人は、同志である。 PZ01、MT06×2、DB02、WN05。

二歳になった日と、いつもの朝

先月、次男が二歳になった。 誕生日。どんな一日だったかというと、それはまあボロボロの一日だった。

それはちょっとした希望と言い換えてもいい

煮りんごを作った。 と書くとなんていうことのないことのようであるが、りんご2玉の歴史は長かった。

自分の小さな「正解」に辿り着くティータイム

そろそろお昼寝の時間だな。

子育て6年目に見えてきた、新たな世界線

この夏、狂ったように同じ鉄道博物館に通っていた。5歳長男がどうしてもそこに行きたいと毎週末リクエストしてくるのである。

とある休日の、名もなき時間

11月の驚くほどあたたかい昼下がり、1歳次男がベビーカーで寝始めた。

愛にあふれる料理を作る秘訣

5歳長男が嬉々として尋ねてきた。 「ママは大人になったら何の運転手になりたい?」

リストからこぼれ落ちる幸福

「やりたいことリスト100」を唐突に書き始めた日があった。めちゃくちゃ疲れていたのだ。

無駄を愛して今日もゆく。ただのゴミ出しが思い出になる日

家から出ない夏休みを過ごしている。

SNSからは何もわからない、という話をしたい

SNSからは、何もわからない。 とある朝の私のツイート、もといポストをご覧ください。

旬の喜び、季節と想い出を呼び起こしてくれるもの

旬、というものを強く意識するようになったのは、一人暮らしを始めてからだった。

私の楽しみはここにあるのだ / 進まぬ日々と茶色い週末料理の話

隣の芝生はなんだかんだ青く、ないものはねだりたい。それが人間というものである。

34歳の成長。2022年に私ができるようになった、たった一つのこと

世の中には無数の呪いがある。 大人になったらもう友達はできないし成長も鈍化するし一年は短くなるばかりで新しいことなんて滅多にない。 だが本当にそうだろうか?

ちょっとずつ諦めて、明らかになる、今のわたしの小さな道

いろんなことを、ちょっとずつ諦めてしまう日々だなぁ。 次男が一歳になり、トコトコ歩くようになった。歩くだけでなく、そこらじゅう登り、あらゆるものを引っ張り出し、片っ端から口に入れる。

美しき伊勢丹マジックにかけられた話 / 新宿伊勢丹冒険記

目的は虎屋の羊羹だった。 義父の誕生日プレゼントに、虎屋の羊羹を買いに行こう。そう思い立ち、秋の週末、家族四人で新宿伊勢丹に向かった。

ちょっとした日常の発見でかなり幸福になれる / 電鍋トースト日記

月曜日の朝は、たいてい少し哀しい気持ちが混ざっている。

「この奇跡に満ちた一週間の日記を、四文字で言い換えなさい」

生活への愛、それは今という時間への研ぎ澄まされた集中力に他ならないのだ。