暮らしのWEBエッセイ
2025年1月、それは記念すべき月であった。 私に(まとまった)自由時間が戻ってきたのである。
久々にNHKの語学テキストを買った。英語とロシア語。これが何を意味するか。
江東区に、東雲(しののめ)というかわいい名前の駅がある。 年末のある日、その東雲に初めて用事があり、朝からバスに乗って家族で出かけた。
「タクシーは疲れちゃうからバスがいいなぁ」 早いか遅いか。遠回りじゃないか効率的か。そんなふうに行き方を考える私とは、違う世界を生きているのだ。
毎年、冬になると直面する。ハンドクリームをいつ塗ったら良いのか問題。
春に引っ越してきて、初めて家にラグ(というのかカーペットなのか絨毯なのか)なるものを導入した。
9時近くまで眠り、ゆっくり朝食をとる。これだけでもう、週末は十分満喫したといえる。
美味しいものを最適なタイミングで食べる。
子どもを寝かしつけたあと、如何に過ごすか。
先日、といっても1ヶ月以上前のことであるが、長男が6歳になった。
一ヶ月以上もブログを更新できなかった。 そのあいだ私は引っ越しをし、幼稚園は春休みに突入した。恐るべきイベントが二つも続いたのだ。
物事を続けるコツ、それは「あえてショボい回を作ること」である。
「折り紙で踏切くん作ってほしい」 5歳児からの、2024年最初の無茶振りだった。
今から書く記号の意味がわかる人は、同志である。 PZ01、MT06×2、DB02、WN05。
先月、次男が二歳になった。 誕生日。どんな一日だったかというと、それはまあボロボロの一日だった。
煮りんごを作った。 と書くとなんていうことのないことのようであるが、りんご2玉の歴史は長かった。
そろそろお昼寝の時間だな。
この夏、狂ったように同じ鉄道博物館に通っていた。5歳長男がどうしてもそこに行きたいと毎週末リクエストしてくるのである。
11月の驚くほどあたたかい昼下がり、1歳次男がベビーカーで寝始めた。
5歳長男が嬉々として尋ねてきた。 「ママは大人になったら何の運転手になりたい?」
「やりたいことリスト100」を唐突に書き始めた日があった。めちゃくちゃ疲れていたのだ。
家から出ない夏休みを過ごしている。
SNSからは、何もわからない。 とある朝の私のツイート、もといポストをご覧ください。
旬、というものを強く意識するようになったのは、一人暮らしを始めてからだった。
隣の芝生はなんだかんだ青く、ないものはねだりたい。それが人間というものである。
世の中には無数の呪いがある。 大人になったらもう友達はできないし成長も鈍化するし一年は短くなるばかりで新しいことなんて滅多にない。 だが本当にそうだろうか?
いろんなことを、ちょっとずつ諦めてしまう日々だなぁ。 次男が一歳になり、トコトコ歩くようになった。歩くだけでなく、そこらじゅう登り、あらゆるものを引っ張り出し、片っ端から口に入れる。
目的は虎屋の羊羹だった。 義父の誕生日プレゼントに、虎屋の羊羹を買いに行こう。そう思い立ち、秋の週末、家族四人で新宿伊勢丹に向かった。
月曜日の朝は、たいてい少し哀しい気持ちが混ざっている。
生活への愛、それは今という時間への研ぎ澄まされた集中力に他ならないのだ。