暮らしのWEBエッセイ
「必ず折り畳み傘を持ち歩いてね、余計な傘を買わないでね」
自由を感じた瞬間、というものでいくつか記憶に残っているものがある。
赤ちゃんのお世話が大変で衝撃を受けている。
大晦日も、なんら変わりない冬の一日として終わった気がした。
久々に赤子を育てている。 新生児の育児についていえば、感想は前回と同じで「かわいい」以外にない。しいていえば、寝不足になるのが多少「大変」ともいえるが、それすらもちょうどいいスパイスにすぎない。鰻重における山椒のようなものだ。
読者の皆さん、一日遅れでメリークリスマス。 クリスマスといえばプレゼントですが、私がいま一番欲しいものといえば、もちろんお皿でも服でも化粧品でもなく、睡眠時間である。
11月の半ばであるが、年初に立てた目標を振り返ってみたい。 読者の皆さん、覚えておいでだろうか? 私が今年最初の日記の最後に、さりげなく目標を掲げていたことを…
理想の週末とはどんなものだろう。
9月21日、中秋の名月だった。
夫と暮らし始めて七年半、ずっと叶わぬ夢があった。 動物を飼いたい。 しかしペットの飼えない賃貸マンション暮らしであった。
人間は錯覚する生き物だ。 何年も一緒に暮らしていると、あたかも全て分かり合えているかのような感覚に陥る。ふたり並び、同じ花を見れば、同じような気持ちで愛でていると思い込む。
海外旅行が縁遠くなって久しい。 第一に新型コロナ流行があり、それ以前に子育て中であり、いや正直に言えば、そもそも旅行という行為は非常に面倒くさいという現実がある。
落ち着いたら近況を書くかな〜(今は手元にPCもないし)などと思っていたが、そんなことではブログは永遠に更新されなくなる。 何せ私たちは「落ち着き」さえすれば何だってできる生き物なのである。 落ち着いたら当然ダイエットは再開されるし、落ち着いた…
久々のブログとなった。 といっても一週間程度であるが、いつもちょっと前のことを書いてることが多いので、ここ最近の出来事を綴ってみたい。
お料理好きの祖母に、オーブンを買った。 買った、と言ってもプレゼントではなく単にインターネット環境にない78歳の祖母に変わって楽天で注文しただけである(翌々日には大分に到着した) 我が家とお揃いの、デロンギのコンベクションオーブン。
2月14日、バレンタインデーである。 皆さん、いかがお過ごしでしょう? 私はと言いますとまずバレンタインデーである前に週末、ここで一週間分のエネルギーをチャージせねばならぬ、しかし夫は土日とも仕事。つまり…
先日、誕生日を迎え33歳になった。
週末は雨だった。 スーパーに一週間分の食材を買い出しに行き、一つ一つ除菌シートで拭いてから冷蔵庫にしまう。この一大タスクをクリアした後は絵本を読んだり絵本を読んだり絵本を読んだりしている。雨の恐ろしさよ。
「息子は小さな恋人みたいな存在」などという言説がある。 街中の公園のあらゆる地面という地面に転がる恋人。冷凍の唐揚げとコロッケしか食べない恋人。トーマスのシールを全身に貼り付けて歩いている恋人。恋人の概念が狂い始める。
この夏、ひとつの大きな決断をした。 炊飯器の買い替えである。
なんだか心がザワザワしたりイライラしたり気分がイマイチ…というとき、皆さんどうしてますか? 私にはとっておきの処方箋がある。
人によって、見えているものが違う。 その当たり前の事実を普段はすっかり忘れて、私たちは実に都合よく平和に生きている。通じ合えているような気すらして。 でもふとした瞬間に、隣で同じ景色を見ていると思っていた人が、別世界を生きていることに愕然と…
物事に順序はあるようでないが、少なくともとっかかりというのは必要だ。 料理教室で一から学ばなきゃと意気込む前に、作ってみたい食べ物が肝要だ。真夜中のナポリタンとか、ふつうにホッとする親子丼とか。
待つこと。 それは時として人を狂わせる。
事の発端はベランダだった。 我が家のベランダは狭い。とても狭い。手狭な東京賃貸古マンションなので仕方ないとして、その文字通り猫の額なスペースで私はベランダ園芸を始めようとしていた。
縁遠い世界というのがある。 デパコス。タッチアップ。季節の新色。クリスマスコフレ。華やかで甘やかなコスメにまつわるあれこれに、未だかつて足を踏み入れたことがない。
7月25日を「鍋記念日」と定めたい。 この日、私はとうとう運命の鍋に出会い、無事に購入までこぎつけた。長い長い、それこそ何年にも及ぶ鍋探しの旅が幕を閉じたのだ。
愛を伝える。どのくらい好きかを伝える。 それはとてもシンプルでいて、いつだって難しい問題だ。
こだわりが人を苦しくする。 こだわらないこと、おおらかでいること、それがラクに生きるための秘訣にちがいない。これもいいし、あれもいい。隣の芝生も自分の芝生も、まあまあ青いし、ときには枯れる。
「かわいいね」「かわいいね」と言い合うことは決して無駄ではない。むしろ無限の生きるエネルギーをもたらしてくれさえする。 小学生低学年、元気に外を駆け回るタイプの子どもではなかった私は、校舎の陰で友達と折り紙交換をするのが休み時間の楽しみであ…