旬、というものを強く意識するようになったのは、一人暮らしを始めてからだった。
スーパーに並ぶ野菜で季節に出会う。その野菜が並んだのを見て、ああ夏がきたんだな春が過ぎたんだなと思う。それはとても心踊る、懐かしく豊かな瞬間である。
35歳の私にとっての夏。それはバーベキューでも海水浴でもドライブデートでももちろんなく、野菜と果物である!(食い意地)
苺が並ばなくなって、春が本当に終わったんだなぁとしみじみする。さくらんぼにプラム、桃にスイカにデラウェア。夏の記憶ははカラフルな果物の色で彩られる。
野菜コーナーも一変する。新じゃがや新玉ねぎから「新」が取れ、オクラにピーマン、茄子トマト、とうもろこしといった夏の野菜が瑞々しく輝き出す。
中でも特別なのが、冬瓜である。
24の夏、一人暮らしをしていた街の、きれいな高級スーパーで、生まれて初めて冬瓜を買った。にんじんジャガイモといった物心つく前からともにある定番の野菜と違って、出会いの瞬間を覚えている、数少ない存在だ。
なんだこの見たことのない野菜?!しかも夏の野菜なのに「冬瓜」?!
面白いと思ってカートに入れた。もちろんその時は一人暮らしなので四分の一くらいにカットされたものを。
帰って極狭キッチンに立ち、クックパッドのレシピを見ながら小さなホーロー鍋で煮物を作ったのを覚えている。
冬瓜はそのまま冷暗所で保管しておけば冬まで持つからこの名前になったらしい。以来、この不思議な名前かつ珍妙な外観の野菜を見かけるたびに、私は夏の到来を想うようになった。そして一人暮らしを楽しんだ短い日々を思い起こす。
というわけで冬瓜。久々に生協で注文したら丸っと一玉がやってきて衝撃を受けた。大きい。
さて何を作るか。
10年前、クックパッドを見ながらたどたどしく煮物を作った二十代の私は知らないだろう。結婚して子どもが二人生まれ、毎日毎日料理をするようになった今、料理の腕は否が応でも磨かれるのだ。もうクックパッドなど開く必要がない。
なんでも味噌汁に入れるから。
そして出汁の昆布はそのまま食べるから。
なんならプチトマトも余裕で入れるから。
20代、今よりもっと、無限の悩みがあった。可能性も肌の艶も今よりあったと思うけど、それ以上にいろんなことに悩んでいた気がする。
どう進むべきか、何を選ぶべきか、細かい道の分かれ道が無限にある気がして、仕事恋愛友人関係と延々と苦悩できる。繊細さも、時間もあった、少なくとも今よりは。
大丈夫、何を入れても味噌汁はおいしい。
悩む時間すらない今日この頃、とりあえず何を選んでも選ば(べ)なくても、おいしいご飯がいただけたらオールOKということだけは分かっている。
おかずがなくても、具だくさんお味噌汁と白米があればもうご馳走ランチとなることも。
冬瓜を半玉たっぷりいれたお味噌汁。一歳次男も生まれて初めての冬瓜を喜んで食べていた。
あ、ちなみに今日のブログは教訓もオチも用意されていない。いったい何が言いたかったのかといえば、
冬瓜のお味噌汁はおいしい
以上である。
おまけ1
残り半玉の冬瓜は、煮物に…ではなく、当然のお味噌汁となった(2回目!)
夏といえばのもう一つの野菜、ゴーヤも買って食べた。しあわせ!
明日はとうもろこしで炊き込みご飯にする予定。夏〜!
おまけ2
料理家土井先生の本をいろいろ読んで(『一汁一菜で良いという提案』は再読)、やっぱり具だくさんお味噌汁って最高だなぁと!いろんな味噌に季節の野菜でお味噌汁ライフを満喫している。
▽永遠の名著▽
▽こちらもすごく良かった▽
そう、私は料理まわりの本が大好き(レシピ本も小説のように読み込んで妄想料理している)
この春夏で感銘を受けた料理本たちもまた紹介したい!
Sweet+++ tea time
ayako
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