目的は虎屋の羊羹だった。
義父の誕生日プレゼントに、虎屋の羊羹を買いに行こう。そう思い立ち、秋の週末、家族四人で新宿伊勢丹に向かった。
バタバタと準備し、着いたのは13時過ぎてあった。まあ、こんな土曜日の流れはいつものこと、我々は何の迷いもなく7階のイセタンダイニングに飛び込んだ。まずは腹ごしらえである。
イセタンダイニングはデパートの中にあるファミレスという雰囲気で、子連れでも気兼ねなくちょっと美味しい食事をいただける、ありがたい存在だ(ただし値段はデパート)
会計の際、パンフレットを二枚渡された。
「ハロウィンのシールラリーを開催中ですので、よかったらぜひお楽しみください」
「ありがとうございます〜」
7階6階5階と、カボチャのオブジェやハロウィンの帽子を被った店員さんのところを巡り、シールを貼ってプレゼントをもらうイベントらしい。
そんな季節か〜と思いつつ、私たちはエレベーターに並んでいた。デパートのエレベーターは混むし、他の階に立ち寄るのも面倒だ。お腹も満たされたし、あとは地下一階で羊羹を買って帰るだけ。
すると、エレベーター脇のレストランから、ウェイターさんが踊り出すように前のめりでやってきた。
「よかったらぜひ一つ目のシールを貼ってお菓子をもらって行ってください!」
いつもは暴れライオンの長男が、モジモジしながらノミの声で呟く「トリックオアトリート」。次男の分も合わせてかわいいシールを二枚貼ってもらい、差し出される小さなお菓子に、私は目を見張る。
クオリティ。
近所のショッピングモールならうまい棒レベルであるはずのそのお菓子が、完全に私がご褒美に買うレベルに昇華されていた。苺のマクロビバターサンド。ああ、ここは新宿伊勢丹。無料で配られる粗品が私のご褒美スイーツ。
感激した私は、美しいパッケージのお菓子二つをそっと自分のカバンにしまい、
「次は6階でシール貰おうね」
意気揚々とエレベーターに乗りこんだ。完全にラリーはスタートした。残り二つの景品もデパートクオリティに違いない。楽しみすぎるッ!
6階で降りた私たちは、シールをもらえるスポットを探して彷徨った。ハロウィン前であったが、デパートの中はクリスマス一色で、華やかな冬の盛り上がりの最中にあった。
色とりどりのオーナメント、「舶来品」という言葉がピッタリの瀟洒な置物や飾りが美しく陳列されている。それらは「雑貨」というチープな言葉でまとめることはできない特別な輝きを放っていた。デパートってなんて楽しいんだろう。
(我が家に大きなツリーはないけれど、オーナメント一個くらい買って壁に飾ってみてもいいな〜)
薄っぺらいオーナメントをサラッと手に取って裏返すと6,800円と書いてあった。異世界。桁がひとつ違った。私の肩にかかっているトートバッグは500円である(それも異常か)
私はオーナメントを静かに戻し、カボチャのカウンターに向かう。
長男の聞こえないトリックオアトリートで、今度はシールをもらった。シールにもランクがある。ぷっくりとした豪華な仕様のものが何枚も。これは明らかに文房具屋さんでご褒美に買う特別なシートだ。心踊る!
最後は5階。
ハロウィンの帽子を被ったお店の方から、文房具セットをもらう。えんぴつ2本に消しゴム、メモ帳。嬉しい!楽しい!
5階もクリスマスの煌びやかな品々で溢れていた。回転するカルーセル、梯子を登るサンタクロース、ノスタルジックな外国の観覧車に、くるみ割り人形をモチーフにした置物。いずれもが凄まじい本物感をたたえている。そんな魅力的な品々がピカピカと輝くフロアを歩くうちに、どんどん気持ちは大きくなっていく。
動くカルーセルの置物に目を輝かせる四歳長男。私のトートバッグにはもらったお菓子や文房具がたっぷり入っている。なんだろう、何か買いたい気がする。
「気に入ってるみたいだし、どれか買ってみるかな?」
支出先がグルメに偏りがちな夫も、乗り気だった。
「そのメリーゴーランドのやつでいいんじゃない?」
私はカルーセルの値札をそっと確認すると、夫にクイズを出した。
「いくらくらいだと思う?」
「うーん、6,000円台!」
「答えは17,000円です」
「?!?!」
狂う。よくよく考えてみたら、カルーセルはベルサイユ宮殿みたいなゴッテリとした装飾が施されていて、我が家のインテリアとは全く馴染まない。ベルサイユ宮殿みたいな家に住む人がサラッと迎える一品なのだろう。
「その隣のさ、サンタと子どもがいるやつの方がいいんじゃない?」
たしかに、こちらはデザインもレトロクラシックな雰囲気、かわいらしいし我が家においても違和感なさそう。ボタンを押すといろんな音楽が鳴る仕掛けもいい。そっと動かして値札を見る。
「9,800円だ」
「それにしよう」
17,000円のあとに見ると、そんなはずはないのにお買い得感が漂った。リーズナブルだとすら感じた。店員さんに買いたい旨を伝える。
「在庫を確認してまいりますので、少々お待ちください」
クリスマスの売り場は魔法にかけられたように人が溢れていて、一年で最も楽しい季節への期待と胸の高まりが、その空間をさらなる熱気で包んでいた。
私と長男は動いたり音が鳴ったりキラキラしている置物をボケーッと眺めながら、店員さんを待った。だいぶ待った。頬が熱い。自分はいったい何をしてるのだろうという思いが、一瞬掠める。
すると、戻ってきた店員さんが申し訳なさそうに謝ってきた。
「こちらの商品なのですが、申し訳ないのですが在庫がなく、現品をお売りすることはできないものでして…本当に申し訳ございません」
神のお告げだ。
私はその瞬間、神の存在を信じざるを得なかった。
謎の勢いで、全然いらないものを買おうとしていた。だいたいこの置物をどこに飾るのか。そしてクリスマス以外の時期、どこにしまうのか。一度冷静になると、不思議すぎて笑えてくる。
「ご予約という形になりますが、お取り寄せすることはできます」「でも僕(長男)はきっと、今欲しいんだよね」「そうだこっちのカルーセルはどう?男の子はこっちの方が好きよ!」
入れ替わり立ち替わり店員さんがやってきて、別のスノードームとか先の17,000円のカルーセルを激推ししてくる。しかし問題はその値段ではなく(値段も大問題だが)、我が家はベルサイユ宮殿ではないということだ。こんなものを置いたら明らかにおかしい。完全に浮く。このデパートの輝きの中で見るからふさわしく素敵なのだ。
私は丁寧にお辞儀をして、無料のお土産たちがガサガサと揺れるトートバッグとともにエレベーターに乗った。
一階に降りて外に出ると、秋の風が冷たく心地よい。
「いやぁ〜危うく謎の買い物するとこだったなぁ!」
「在庫がなかったのが、完全に神様からのメッセージだと思ったわ」
夫と盛り上がる。
「それにしてもシールラリーって上手だよねぇ」
デパートの手腕に感心する。あのハロウィンイベントがなければ、最初にマクロビバターサンドを手渡されなければ、私たちはデパートの他の階に降りることもなかったのだ。回遊させ、魅了させ、夢の中で財布を開かせる。まるで美しいマジックのようだ……!
そんなあれこれを談笑しつつ地下鉄の駅に向かっていた。ふいに、夫がハッとした顔で立ち止まる。
「虎屋だッ!」
完全に当初の目的を忘れていた。
義父の誕生日プレゼントに、虎屋の羊羹を買いにやってきた新宿伊勢丹であった。
イセタンダイニングでランチにデザートまで食べ、満腹の体でエレベーターをせっせと行き来し、顔を赤くしてシールを集め、挙句は謎のサンタ置物に諭吉を出そうとしていた。我々は何をしているのか。
生まれて初めて買った、虎屋の羊羹。義父の分は大きな箱に入ったもの、実家の母と自分用にも小箱のセットを買ってみた。
綺麗な包装紙で幾重にも包んでもらう、箱のお菓子。なんて美しく楽しいの。
そうだ、次男が幼稚園に入って仕事を再開したら、デパートで買い物しよう(買うのはもちろん服やバッグではなく、お菓子専門であるが!)
新たな人生の目標が生まれる、楽しい休日の冒険であった。
一年で一番たのしいと思う。
苺のバターサンドも虎屋の羊羹も、とびきり美味しかったです。ちなみにうまい棒も大好きです。
Sweet+++ tea time
ayako
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