ちょっとした日常の発見でかなり幸福になれる / 電鍋トースト日記

月曜日の朝は、たいてい少し哀しい気持ちが混ざっている。

いや、哀しいという言葉はちょっとズレている。休日の儚さを思って寂しくなるというのか。

10分ほどの本を読む時間もなく、週末が終わってしまった。

楽しいこともたくさんあった。たっぷり朝寝坊したし家族で銀杏の並木道を散歩したし焼肉を二回食べた。焼きリンゴとチャイでお茶したし、友達親子とも会えて長男と二人で夜の本屋にも行った。ピザとチキンも食べた(食べ物の話ばかりだな)

こうして書き出すとめちゃくちゃ楽しく充実した週末なのだけど、ほんの10分でいいから、一人で椅子に座って読書がしたかったなぁと、過ぎ去ってしまったあまりに儚い週末に寂しい気持ちにもなるのだった。

しかしまあ、目の前には〇歳と四歳のキュートすぎるシルエット。むっちりと太ったシロクマのような赤ん坊の癒しは言うまでもないが、四歳もまた凄まじい。

今日も朝から「ママ大好き」を1分ごとくらいに言ってくれる。最近さらに言い回しにバリエーションが増え「ママ可愛い」「ママの服似合ってるね」「大大大好き」なども差し込まれる。

破壊力。

 

癒しの破壊力である。

夫も見習ってほしいレベルで私を称賛してくれる四歳男子。幼稚園に行ったらまたいろいろ変わるだろう。知らぬ間に人生最後の「ママ大好き」が通り過ぎてゆくのだ。噛み締めて味わおう(もはや暇つぶしに呟いてる感すらあるが) 

想像以上に時間のない二人育児の日々であるが、こんな感じでいつだって、徐々に癒しが哀しみを侵食していく。気を取り直していつもの家事を済ませ、部屋中にお掃除ロボットを走らせつつ、朝食の支度をする月曜日。

最近、トースターが壊れてしまった。

日曜日は魚焼きグリルで食パンをトーストしてみた。美味しくできたし時間も短い。

ただ、平日の朝にこれをやるのは現実的ではないなぁと思った。なにせバタバタしているので、コンロの前に数分でも張り付いていられない。子ども二人を見ながら火を使うのは危険である。

そういえば電鍋で食パンをトーストしてる写真を見たなぁと、買ったきりあまり読めてなかった新しい電鍋の料理本をめくる。

公式な使い方ではないけれど、「台湾でのリアルな使い方!」みたいなコーナーで紹介されていたのだ。オーブンシートを敷いて、パンを並べ、蓋をしてスイッチオンするだけ。

恐る恐るやってみたら、とびきり美味しくパンが焼けた。表面にはこんがりと程よく美しい焦げ目がつき、内側はもっちりふかふか。

火加減を気にするとか何もなく、スイッチをいれたらほっとくだけ。冷凍していたパンの場合は二回スイッチを入れればちょうど良く焼けた。時間もかからない。電鍋すごい!

目を離せるから安心だし、入れっぱなしでも長いことあったかいから、私も熱々のパンが食べれた。

かなり幸福である。

この幸福感は二重の構造だ。ちょっとした日常の発見でかなり幸福(その1)になれてしまう、そんな単純な自分のことがけっこう好きだなと思える幸福(その2)。幸せマトリョーシカ。これも何らかの特技と思いたい。

トースターがなくなって、キッチンに空間が生まれる。大好きな電鍋を使いやすいところに移動した。さようなら週末、こんにちは新しい一週間。哀しい気持ちは月のように隠れてしまった。

楽しく生きるコツに違いない。

Sweet+++ tea time
ayako

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