SNSからは、何もわからない。
とある朝の私のツイート、もといポストをご覧ください。
5歳長男がひとり起きてリビングのカーテンを開けて、ソファーに座って図書館の絵本を音読している。その声を寝室からひっそりと聞いている朝。
— ayako | 作って書くひと (@Sweettteatime) August 3, 2023
もう少しだけ聞いたら、バナナパンケーキを焼こう。
なんかこう、素敵じゃないですか。
朝6時過ぎ、ひとりでカーテンを開けて座り、図書館の本を朗読している読書好きの男の子。その声を、隣の寝室から息を潜めて聞いている母親。なんて素晴らしい親子なんだろう……と思うじゃないですか(思ってください)
いや、書いたことは事実なのです。何一つ盛ってないどころかむしろ、「音読がうますぎるッ!こんなに感情を込めて読めるなんて天才!はあああ〜というかそもそも一人で起きて絵本読めるようになったなんて泣く!1歳も2歳も3歳も何なら4歳もめちゃくちゃめちゃくちゃ大変だったけど、成長したんだなぁ〜!!ここまで毎日絵本朗読してきた私も偉すぎるッ!!!」と震えるほど感動してたのを、グッと堪えて控えめに投稿してすらいる。
ただ、書いていないことはある。
どんなSNSであれ、何を書いて何を書かないかという選択が投稿者に委ねられているのは当然の事実だが、私たちはそれをいとも容易に忘れるのだ。書かれなかったことこそが、意味合いの全てを変えるかもしれないのに。
端的に言おう。
長男が大きな声で読んでいたその絵本のタイトルは、
『バナナうんち』
である。
バナナうんち いいうんち
あしたの あさに あえるかな
早朝から大声で読みあげられるこの一説に、布団の中で震えるほど感動していた女が私である。
ざんねん!でてきたのは
カチカチうんちくん。どうしてだろう?
おいらの なまえは カチゴロー!
この5年余りの出産、育児、怒涛の日々が走馬灯のように脳内を駆け抜けてゆく。散歩と絵本で気が狂いそうになった、しかし過ぎてしまえば愛おしい日々。
ちなみにこの本も読みすぎてカチゴローの表情の隅々まで余裕で脳内再現できる。
チュンチュン おはよう
あさ いちばん
いっちゃん トイレに むかったよ。バナナうんちくんに あえるかな。
いざ!
歯切れも滑舌も最高で、めちゃくちゃ臨場感あふれる5歳の朗読に、涙腺が緩む。次の見開きページのわりに衝撃的な構図(とうとうバナナうんちくんが出てくる)までありありと脳裏に浮かんでいる。
「あ〜」とか「う〜」のような喃語が精一杯だった赤子の頃から、こうして一人前に物語を読めるようになった、その道のりを思わずにはいられない……なんて成長したのだろう……
ボサボサの頭に浮腫んだ顔で、泣きそうになった。なぜこの本だったのか。いい本だけど。
さて、バナナパンケーキも実際焼いた。
次男も起きたため限界を悟り、のそ〜っと布団から起き上がった私は朗読を絶賛してから、ボサボサの頭でフライパンの前に立ち大量のパンケーキと目玉焼きを焼いた。
しかし偏食の長男は食べず、冷凍の焼きおにぎりをオーダー。バナナうんちくんに会うためには野菜も果物もおうちの人の手料理をバランスよく食べようという素晴らしい教えが盛り込まれた絵本をあんなに大声で読んでいたのだが。
ちなみに今週我が兄弟の間で大ヒットだった一冊はこちら。
長男と次男が交互に持ってくるため控えめに見積もっても50回以上は読んでいて、もう発狂寸前の朗読となっており、明日は必ず図書館に行かなければならない。
絵本の調達と朗読と修理、これらに明け暮れている5年余り。図書館は遠いし、夏は暑く冬は寒い。朗読は喉がカラカラになり、文字が多い本は毎度軽く絶望する。買った絵本が壊滅寸前までボロボロになるのも、読み出すと強烈な睡魔が襲ってくるのも不思議でしかない。同じ話を何十回読んでも、5歳と1歳が目を輝かせて聞いてくるのも。
いちいち投稿しないすべての瞬間に光が宿っている。SNSからは何もわからない。そうなのだ。
Sweet+++ tea time
ayako
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