大晦日も、なんら変わりない冬の一日として終わった気がした。
今年は年越し蕎麦もなし、紅白歌合戦は数分流し見したら寝かしつけの時間になった。三歳と〇歳のお世話をする以外は、楽しみにしていた雑誌が一冊届いたくらい。あとはそう、夫がAmazonで何かを注文していた。
しかし何気ない一日の中にヒントがあり、新しい一年の示唆がある。私たちは容易にそれらを見逃すが、あとで振り返ったときにハッとするのだ。地味な日々の中に、伏線は静かに張り巡らされている。
この寒いのに夫は毎日ベランダに出たり、カーテンの隙間から窓際をじっと眺めたり忙しない。
冬の柔らかい陽射しだけ享受して、暖房の効いた部屋でぬくぬくとお茶をする。これぞ寒い季節の極上の過ごし方だと信じてやまない私には、理解しがたい行動だ。
何をしているか?といえばもちろん、メダカの世話をしている。
世話、と言っても本来はオフシーズンである。メダカは冬眠するのだ。したがって寒くなれば、餌やりにしろ水換えにしろやることはなくなる。
夏から秋にかけて、夫の「メダ活」は凄まじい盛り上がりを見せていた。朝起きると窓際には夫の猫背があった。水草についた極小の卵を一粒一粒取っては別の鉢に移しているのだ。メダカは毎日律儀に産卵し、夫は毎日律儀に採卵していた。
大量の卵もそれが孵化した稚魚も、何もしなければ親メダカが食べてしまうので繁殖しない。だが夫の尽力によって、孫世代のメダカたちは次々と安全な場所に保護され、大繁栄を約束されていた。実際、百匹以上の稚魚が眩しい光を受けながら泳いでいた。
「メダカの学校だね」
「なんとか冬が越せるといいけど」
稚魚の中でも大きくなってきたものを、さらに別の鉢に移していた。メダカの中学校である。鉢は三つに増え、ベランダはカオスと化した。
冬になり、メダカは動かなくなった。中学生以上は水草の影に隠れ、姿すら見せない。それでも夫は毎日律儀にベランダに出て、苔だらけの水面をじっと眺めていた。
その頃、不可解なことが起きはじめた。ベランダに鳥のフンが落ちている。私が苦労して敷き詰めたお洒落なウッドタイルに、毎日律儀に落とされている。引っ越してきて半年間、こんなことはなかったのに。
ナチュラル可愛い私のベランダ園芸コーナーは、日当たりを求めて拡大する夫のメダカ学園に侵食され、挙句の果てに鳥のフンまで撒き散らされた。すべてが順調に狂い始めていた。
「ここ最近、なんで鳥が来るんだろ」
「メダカを食べに来てるのかも…」
嫌な予感は当たるものである。
秋の光に煌めいていた百匹以上の稚魚は日に日に弱り、いつの間にかほぼ全滅まで追い込まれた。嘲笑うかのように鳥のフンは元気よく撒き散らされている。
寒さと外敵である。夫のメダ活に火がついた。
毎朝ベランダに出ては鳥の形跡をチェックし、フンで水質が悪化したかもしれないからと真冬なのに水替えをする。リビングで赤子を抱っこしているときも、さりげなくカーテンの隙間からベランダを監視している。
とうとう現場も抑えた。ヒヨドリのような鳥がメダカの鉢にとまって、水面を突いているところを目撃したらしい。
「対策を講じるしかない」
話は変わるようであるが、大晦日の地味な一日を振り返ると、夫も私も2021年最後のお買い物をしていたことがわかる。
三歳と〇歳のお世話をする以外は、楽しみにしていた雑誌が一冊届いたくらい。あとはそう、夫がAmazonで何かを注文していた。
私の一年最後のお買い物。大晦日に届いた雑誌は「FIGARO japon DECO」のインテリア特集であった。パリジェンヌのおしゃれな暮らし、みたいな安直なタイトルに呆気なく惹かれてしまう。笑ってくれてもいい。
そう、私は、おしゃれな暮らしを求めている。
美しい絵皿が好きで、キッチンとお菓子作り、インテリアと刺繍を愛している。ベランダはグリーンや花が揺れ、ときどきハーブを料理に使えたら最高である。
そんな私が生活を共にする男もまた、大晦日に一年最後の買い物をしていた。
「ayakoさん、鳥対策にこれを買ってベランダに吊そうかと思うんだけど、どうだろう?」
そう言って見せてきたAmazonの商品ページがこちらである。
どうだろうも何も…
ものすごく変だろう。
しかもこれ、キーホルダーみたいなサイズだと思ったら大間違いなのである。41cm×21cm、想像の10倍くらい大きい。鈴付き、謎の光沢を放つ巨大フクロウが、あろうことか4つセットである。これをベランダに吊るすという。恐怖しかない。
「パリジェンヌのおしゃれな暮らし」が、爆速で遠ざかっていく。
私が呆気に取られていると、夫は気を効かせた雰囲気で「それかこっちでもいいよ。どうだろう?」と第二案を示してきた。
今年も元気よく迷走してゆきたい。
どうぞよろしくお願いします。
Sweet+++ tea time
ayako
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