11月の半ばであるが、年初に立てた目標を振り返ってみたい。
読者の皆さん、覚えておいでだろうか?
私が今年最初の日記の最後に、さりげなく目標を掲げていたことを…
ちなみに今年の目標は、お皿を増やさないこと、たくさん眠ることである。
説明するまでもない話のような気がするが、ここは粛々と振り返ってみよう。
一勝一敗の2021年。お皿は6枚増え、私はたくさん眠った
一勝も一敗も間抜け感が凄まじいが、目標に対する結果はこの通り。
お皿は6枚増えた。
しかしそれは言い換えれば、6枚分の幸福な思い出が増えたということである。
人生とは、成功でも失敗でもなく、ただひたすら思い出を積み重ねること。
これは学生時代、恩師に教わった忘れられない言葉のひとつ、ではなく今しがた私が思いついた言い訳である。しかし紛れもない真理でもある。
崇高な目標をストイックに達成できたから成功、欲望に負け挫折したから失敗、などと杓子定規に切り分けるのは容易なことだ。だがそうやって切り分けたケーキが果たして美味しいかは別問題。
バットにたっぷりと盛られた柔らく甘いティラミスのように、大事なものこそスッパリ切り分けられない。そう、人生は限りなくティラミス寄り。
前置きが長くなった。本題に移ろう。
今年、我が家の食器棚に加わった美しいお皿たちを紹介しつつ、購入に至った顛末を語っておきたい。
メルカリという奇跡の蚤の市と、愛するキャスキッドソン
まさかの引っ越し前、三月の終わり、心地よい春の予感に満ちた季節、私はひっそりとお皿を増やしていた。
舞台はそう、全庶民に向けて24時間体制で開催される奇跡の蚤の市、メルカリであった。
とんでもなく好みのお皿、今や本国のオンラインショップでしか買えなくなった愛するキャスキッドソン、三枚セット、安い。
もう、全てが揃っていた。
こうしてやってきた三枚セットのケーキ皿。
淡いブルーに彩られたリム、真ん中のノスタルジックな小花柄、縁取る金彩はどこまでも繊細で、嫌味な感じやおばさま臭が皆無である。かわいさと上品さが絶妙に組み合わさった奇跡のデザインと言ってよい。
さらに私を魅了するのはその控えめ感、それでいてあっと人々を甘く驚かせてくれる懐の広さである。
皿相手に何を言い始めたかとお思いかもしれないが、こちらの写真をご覧いただきたい。
こうなるともう、シャープでシンプル、モダンなデザインのプレートにしか見えない。
しかし食べ終える頃には、こうである。
真ん中からノスタルジックな花柄がのぞき、わぁっとなる。
このギャップがたまらない。
使うたびに興奮している。ちなみにこちら、三枚で1500円だったので、一枚たったの500円!ああ〜我ながらなんてささやかな趣味なの…と悦に浸っていたが、ブログを書くにあたりメルカリの購入履歴をチェックしたら、ふつうに三枚3000円だった。
記憶の中で値段が半額に歪められていた。
罪悪感を減らすための防衛本能なのだろうか。脳は誠によくできている。
大好きな雑貨店リータスでお迎えした魅惑のお皿三枚について
十月、それは魔の月である。気候は落ち着き、グッと過ごしやすくなる。料理も楽しい。焼き菓子も美味しい。オーブンで何か焼きたくなる。焼いたらもれなく皿にのせる。お皿が気になり始める。
ああ、なんと巧妙なのだろう。
しかもその頃、私の愛してやまない大宮の雑貨店リータスの店主の方は、コロナ以来初の買い付けでスウェーデンに出かけ、無数の美しい宝物を抱えて帰国されていた。その模様を逐一インスタでチェックしては、すてきな予感に胸を震わせていた。
そう、あと二ヶ月堪えれば一年も無事に過ぎるというその頃に、神は試練を仕掛けてくるのだ。
かわいすぎて鼻血が出そう…
しかしカートに入れるまでに長きに及ぶ葛藤があった。なにせお皿は大量にある。それも焼き魚を入れる皿はないが、ケーキ皿だけ謎に多い。必要か?不要か?と問われれば不要だろう。だが欲しい。
「大好きなお店のオンラインショップが更新されたんだ…それで、すごく欲しいお皿があって…」
十月某日、夜九時過ぎ、私はモジモジして夫に疎ましがられていた。別に毎回お伺いを立てて買い物してるわけではないが、皿だけは別である。無理やりにでも承諾を得たい。得ることで罪悪感を減らしたい。
しかしそんな魂胆は夫にすぐに見抜かれた。
「いちいち許可を得なくていいよ。必要なら買えばいいし、自分で決めてよ」
それでは弱い。明らかに必要ではないし、自分で決めるのは荷が重いからこうして逡巡しているのだ。あと一押しほしい。私はモジモジしてこう続けた。
「そんなに高いわけじゃないの…三千円台だし…」
夫は呆れた顔でこう言った。
「値段じゃないよ。必要なものなら高くても買えばいいわけで。そもそも、お皿、これ以上必要なの?」
正論である。
あまりの正しさ、それも物欲皆無な夫から発せられる冷徹な一言は、強力な毒が塗られた矢のように私の心に突き刺さる。ああ、太刀打ちできない…
私はその夜、散々悩み、母と妹のLINEにも無駄に皿の写真を送りつけ、誰かから「可愛いじゃん!買ったらいいよ〜」とか「そんな欲しいものってなかなか出会えないよ!暮らしを楽しまなくちゃ」とか何とか甘い言葉で背中を押されたがっていた。しかし現実は厳しい。
誰も押してくれない。
1mmも押されない背中である。むしろ「これ以上お皿集めてどうすんの?!」「狂ってる!」と爆笑やら失笑を買うだけであった。私は絶望した。
もういっそ、桁が違い一枚三万円だったらよかったのにとか、誰かが買ってしまってSOLDOUTになればいいのにとか、諦める口実すら欲しかった。それくらい買いたいという矛盾した状態に陥っていた。
散々迷い葛藤し苦しんだが、私も大人である。一度スマホを閉じ、皿の商品ページから離れ、淡々と家事を進めてみた。
するとどうだろう、少し忘れてきた気がした。物欲の炎が、弱まってきた。よし、いい感じだ…一歩ずつ、確実にブッダに近づいている。
眠る前、三歳息子の寝顔を眺めた。
ああ、なんて愛おしいんだろう。私は新しい何かを目にするような心地で、眩しい清々しさの中にいた。丸く膨らんだ頬、つやつやとした肌、閉じられたまつ毛の長さ。「今日もたのしかったね」と毎晩口癖のように言ってくれる、幸せそうな口もと。
これ以上に必要なものなんて、あるだろうか?
否である。
私はもう、十分に満たされている。愛する家族がいて、安らげる家がある。今あるものに感謝して、さあ、眠りにつこう。物欲に翻弄された数時間が嘘のように、聖母の気持ちで目を閉じた。
翌朝である。
おさるのジョージを見ながらゲラゲラ笑っている息子、メダカの孫たちの世話に躍起になっている夫を横目に、キッチンへ向かう。実に自然な仕草でスマホを出し、当然のようにリータスのホームページを開いた。目当ての皿の在庫を確認する。
「さあ、お皿を買おう!」
朝のクールな爽やかさの中で、私は一切の迷いなくお目当ての皿三枚をカートに入れた。トースターに食パンも入れた。決済を完了する。バターを塗る。実に清々しい。
昨夜の私はいったい何に悩んでいたのだ?なぜあんなにモジモジしていたのだ?なぜ他人に背中を押してもらおうと?
堂々と胸を張って飛び込めば良いではないか。
夜に書いた手紙は出すなと言うが、誠に真理である。夜の悩みほど無駄なものはない。聖母は一晩にして終わった。息子も毎日楽しいそうだし、私も好きな皿を買う。そこに何の矛盾があろう?
パンプキンパイをのせ、
りんごタルトをのせる。
ああ…これが至福でなくて何だと言うのか!
一週間後、届いたお皿でティータイムを満喫している私に、夫は呆れた視線を向けてきた。
「あれ、結局お皿買ってるじゃん…」
新しい服も髪型も何一つ気がつかないのに、お皿だけはやたらと目敏い男へと成長した。
「買ったよ?」
だって私は服も化粧品も買わないし、今年とうとう髪まで自分で切ってしまった(しかもバッサリ大胆なショートに)。一回の美容室代を思えば、お皿三枚でもお釣りが来るではないか。手作りのケーキを焼き、お気に入りの皿に入れて、ご満悦でお茶をする。かわいい趣味といえよう。
「垢すりって一回いくらくらいするの?」
私は聞いてみた。メダカ飼育を除くと、サウナや垢すりが夫の趣味なのだ。マッサージ類に興味がない私には未知の世界である。
「4000円くらいかな」
「ふうん、じゃあ私のお皿一枚より高いんだね」
勝ち誇って言った。お互い様感を存分に出してみた。すると夫は、フッと笑った。哀れなものを見る目でこちらを見下ろしている。
「ayakoさんは、わかってないね。僕は溜まった垢を取ってるんだよ。デトックス、どんどんスリムになるわけ。でもお皿は溜まる。ayakoさんの皿集めは垢を溜めてるようなもんだよ」
ひどい言われようだが、反論できないのはなぜだろう。不思議しかない。
何はともあれ、2021年はお皿が6枚増えて素敵な一年だった。間違いない。
おまけ:近況とお知らせ
突然ですが、いよいよ臨月になりました。もうすぐ出産の予定で、ブログもまもなく更新できなくなるため一足早く一年を振り返らせてもらった(さすがにこれからお皿が増えることはあるまい…)
SNSなどではお知らせしてたのですが、アクセサリーショップも今週末というか今日、11/14(日)いっぱいのご注文で、長期クローズに入ります。
sweeteatime-jewelry.hatenablog.com
まだわずかながら並んでいるアクセサリーもあるので、オンラインショップも、よかったら覗いてみてもらえたら嬉しいです。
クリスマスラッピングでお届けしてるよ。
Sweet+++ tea time
ayako
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