秋の川沿いモーニング事件簿

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理想の週末とはどんなものだろう。

"せっかくの休日、起きたら昼近かった。散らかった部屋を片付けて、溜まった家事をこなし、気づけば窓の外はもう夕方だった"

そんな一日の過ごし方に気を落とす人は少なくない。「何もしてない…」と虚しさを感じることすらあるかもしれない。

だが穏やかに過ごせること以上に、大切なものなどあるだろうか?

否である。

*・*・*

 

あの頃は浮かれていた。

先だって、過去のLINEを見返していた夫が、「ちょっとこれ見て」と震えを堪えてスマホ画面を見せてきた。

三年前のとある日のトーク履歴である。息子が生後二ヶ月の頃、区の両親学級に参加し、初めて他の親子と接した私が、なにやら興奮して夫にLINEしている。

「赤ちゃんすごい小さいって言われた!」

「終始おとなしくしてて、みんなに羨ましがられたよ〜!」

みたいな内容である。

およそ三年が経過した今、我々は笑いを堪えるのに必死であった。

あれっきり言われたことない。

むしろ逆、常にこうである。

「大きい…」

「(大変そうだね…)」←心の声

私と息子が二人で出かけたときの定番の質問は「パパが大きいの?」(その通りである)

3歳児健診でも入室するなり保健師さんがザワザワしていた。

「すごく大きい…」

栄養相談を受けてはどうかと提案されたが、むしろ食べないのである。昨日など朝も昼もネズミが食べる量くらいのチーズしか食べなかった。別にお菓子類も食べない。どうやって成長してるの?(たまにめちゃくちゃ食べる日もある)

まあ大きさのことはさておき、「おとなしい」などという形容を受けたのはあの生後二ヶ月が本当に最後だったといってよいだろう。

二歳前半のイヤイヤ期、アニメや漫画の世界のように絶望して地面に泣き転がる子どもに、私は出会ったことがない。自分たちを除いて。

聖母ではなく猛獣使いとして日々奮闘する私を、励まし助けてくれた周りの人々には感謝しかない。下町の人々の優しさに泣く。

だが、そんな嵐のひとときも過ぎ去った。ちょうど二歳半の冬、マンションの入口で寝そべったのを最後に、息子もようやく人前で転がらなくなった。家ではプンスカしているが、かわいいものである。

*・*・*

 

話は突然変わるようであるが、週末、念願の川沿いモーニングをした。

といっても熱いコーヒーを水筒に入れ、焼いたマドレーヌとホットケーキを包み、川沿いのベンチで食べただけ。だが、「だけ」といってもそれが最高のひとときであることは想像に難くないだろう。

秋、それは素晴らしい季節。光は輝き、空は高く、空気はカラッとしてどこまでも涼やか。ときに金木犀の香りまで漂い、ちょっと散歩するだけで五感すべてを心地良く満たしてくれる最高のシチュエーションが用意されている。

「空がまぶしいねぇ!川が光っててきれいだねぇ!」

三歳になり、お喋りもだいぶ人間らしくなってきた。上機嫌で歩いている。ああ、オムツも卒業したし地面にも転がらなくなったし、すっかり穏やかな日々だなぁ…

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美しい木漏れ日、水面の輝き、淡いパステルカラーのボートが行き交う秋の休日。川と緑道がきれいな街。

思えば引っ越してもうすぐ半年になる。生活もすっかり落ち着き、諸々の幸福を噛み締めながらマドレーヌやホットケーキを食べる。

そんな素晴らしい秋の日であったが、唯一の難点といえば少々風が強いことだった。

ベンチの周りを駆け回る息子に、鳩の餌やりよろしくホットケーキをちぎって渡していたが、瞬間、強い風が吹いた。あっという間に、ベンチに置いていたとあるものが飛ばされて川に落下した。

これが、悲劇の幕開けであった。

「アレ取るーッ!!!アレ取る!アレ!アレ!落ちちゃったよう!パパ取る!ママ取る!うわあああああああ」

さっきまで上機嫌で朗らかだったはずの三歳男子が、顔を真っ赤にして泣き叫んでいる。

(うわぁ…大変そう…)

私が通行人なら間違いなくそう思っただろう。憐憫の眼差しすら向けたかもしれない。だが現実として、私は通行人Aではなく準主役であった。悲しいほどに主要登場人物。

「あれはもう取れないんだよ。川に落ちちゃったらしょうがないの。ほら、大きな声出さない。みんなびっくりしちゃうよ、またお散歩しよう」

もう一人の準主役、夫が必死で宥めている。しかし主役はもうお構いなしに川の欄干にしがみつき大泣き大暴れ。地面にこそ転がらないが、この世の終わりのように絶望している。

振り返れば、彼は何かが落ちて手の届かないところに行ってしまうのをひどく悲しがる。トイレの中にシールが落ちてしまったり、ベランダの隙間からサンダルを落としてしまったときも絶望していた。三歳児が知る、別離の哀しみ。

「ayakoさんも見てないで、なんとか応戦してよ…」

夫は恥ずかしさで気が狂いそうになっている。見渡せばそう、ボートに乗っている親子はみな穏やかで、静かな休日のひとときを過ごしている。なぜここにだけ台風が直撃しているのか。「おとなしくていいねぇ」と羨望の眼差しを向けられた生後二ヶ月は遠い宇宙の果てである。

悲しいかな、こんなときにできることはあまりにも少ない。無理やり抱き抱えて連れ去ることができた赤子の頃を、懐かしく思う。嵐は過ぎ去るのを待つしかない。

しかし我々の地味な慰めや説得をよそに、息子は派手に泣き狂い、それは水上の穏やかな人々にも波紋を催し始めた。なんとか取れないかボートで近づこうとしてくれる親子、わざわざ戻ってきて川に浮かぶそれを気にしてくれる人まで。

挙句、向こう岸のボート乗り場で、係員のおじいさんが網を携えてボートに乗り出した。

「アレかい?!ぼく、アレなのかい?!」

長い棒のついた網でスッと取り上げると、橋を渡って取りに来たらいいとジェスチャーで伝えてくれる。私たちは恥ずかしさと申し訳なさとありがたさに溶けそうになりながら、荷物を持って橋を渡ることにした。秋の涼しさが嘘のように、大量の汗をかいている。

「アレ取る!どこいった?!どこに行っちゃったの?!」パニックになっていた息子も、係の方が取ってくれたと説明すると、しゃくり上げながらも涙を拭いて歩き出した。

辿り着いたボート乗り場で、係のおじいさんは微笑を浮かべつつも困惑していた。

「これでいいのかい?中身は何もないけど…」

「これで大丈夫なんです!本当にありがとうございますッ」

平身低頭の私たちと、鼻も目も真っ赤にした三歳息子は、宝物のようにそれを受け取った。

クシャクシャに丸まったアルミホイルを。

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ずっと大事に握りしめて帰った

ホットケーキの包み紙が、こんな大事件を引き起こすなど、誰が想像しただろう?

風に飛ばされて川に落ちた銀紙であんなにも泣いたのに、地面に転がったホットケーキ本体の方は、一度も顧みられなかったのはなぜだろう?(こっそり鞄にしまった)

ちなみにこの日のツイートはこちら。

写真とSNSは真実を語らない。

どこかの家族の「穏やかですてきな朝」に焦る必要は全くない。その日はもう三人とも、一日中グッタリとしていた。朝イベントに完全に生気を吸い取られた。川沿いモーニングは、当分遠慮したい。

昼まで眠ってしまった、夕方までダラダラ過ごしてしまった、そんな休日はだから、宝石のように輝く素晴らしいものなのだ。

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マドレーヌは、家で食べるよ。

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Sweet+++ tea time
ayako

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