「やりたいことリスト100」を唐突に書き始めた日があった。めちゃくちゃ疲れていたのだ。
書き出すことで少し気分が上がるかなと思ったが、だんだんと列挙するのが面倒になり(おいおい)、まあこんなところでいいやと手帳を閉じてから、実は全く見ていない。今見返したら39個目で終わっていた。
涼しくなったらやりたいことリスト、ブログに書きたいことリスト、作りたい料理リスト、焼きたいお菓子リスト。私は手帳中にありとあらゆるリストを作っては、作りっぱなしで忘れ去っているのである(飽きっぽい性格!)
まもなく2歳となる次男と、窓際の椅子に座り、ダイニングテーブルでお昼ご飯を食べていた。
次男の柔らかい髪、まつ毛、ふうわりとした頬に、窓から降る光と影が優しく揺れていた。ぽかぽかとあたたかい、美しい秋晴れの日だった。
食べ終わり、スマホを見ないで、その光の感じをぼんやりと眺めていた。秋は太陽が低くなり、部屋の奥まで光がゆたかに差し込んでくる。隣でジャムパンと炊き込みご飯(すごい組み合わせだ)を食べていた次男の丸い頭が振り子時計のように揺れ始めた。
うとうとしてきた子を抱き上げたら、ずっしりと重く、その重みの向こうから甘い苺ジャムの香りがした。
玄関に、無印良品の木製フックを取り付けている。
5歳長男の幼稚園の制服やカバン、帽子をかけるためだ。いつも通りバタバタと支度をする朝の時間、長男がふとこう尋ねて来た。
「これママが付けたの?」
「そうだよ」
その次の質問にぶったまげた。
「テーブルをちぎったの?」
発想力よ。そうです、我が家は木製の家具ばかり。私は大きなダイニングテーブルをちぎってフックを増設しているのだ。怪物か?
永久に思い出しては笑っている。
幸福はいつだって、名もなき瞬間のことを言うのだ。
美術館に行く、合羽橋に行ってクッキー型を買う、日本橋の丸善をぶらぶらする、神保町を散歩する、門前仲町の骨董食器店をのぞく、りんごのガトーを焼く…
私がやりたいことリスト100(もとい39)に挙げたあれこれは全て、子育てハードモードで毎晩屍と化している今、夢のような出来事ばかりである。
だからといって悲観していることは全くなく、私はむしろ無意識のうちに知っているのだ。リストの中には入ってこない、取るに足らない日常の一片にこそ、生きるよろこびは詰まっていると。
続いていく日常は奇跡の連続でしかない。
リストからこぼれ落ちる幸福たちを、精いっぱい受け止めて、明日も明後日も暮らせたら、それ以上のことはないのである。
Sweet+++ tea time
ayako
こちらもどうぞ