物事に順序はあるようでないが、少なくともとっかかりというのは必要だ。
料理教室で一から学ばなきゃと意気込む前に、作ってみたい食べ物が肝要だ。真夜中のナポリタンとか、ふつうにホッとする親子丼とか。
大学時代、御茶ノ水の丸善でなんとなく手にした一冊でロシア語にのめり込み、専攻することになった。最近夢中なハンガリー刺繍は手軽なキットから始めたけど、ドイリーにポーチに壁飾りに、作りたいものが脳内で列をなしている。
今年は映画を100本読む!と抱負を掲げなくても、一本映画を観に行けば、次に見たい映画はどんどん出てきたりする。あの予告編の面白さというのはいったい何なんだろう!
物事は連続しているものだから、何か小さなきっかけとかとっかかりが、新しい世界に導いてくれたりする。それを後から運命というのかもしれない。
「デパートで全身一式服を揃えてみたいという思いがあるよ」
毛玉でいっぱいのパーカーで、もはや動物の毛並みのような心地よさを達成している夫が言った。
「でもこないだもパーカー買えなかったじゃん」
先日、ソラマチ(スカイツリーのショッピングモール)を散歩していた。とあるメンズ服の店で、マネキンが着ていたパーカーがいい感じだったので試着をすすめた。
「私たちはそのへんまわってるから、ゆっくり試着しなよ」
「ひとりじゃ無理だよッ」
パーカーを買うだけなのに、私と二歳児に一緒にいてほしいという。仕方なく息子と試着室の前で待っていたが、マネキンの前にいたはずの夫は一向に現れない。
「店員が話しかけてきそうだったから慌てて逃げたよ…」
接客されるくらいなら、毛玉を選ぶ男である。
ソラマチでこのとおりであるから、手厚い接客の総本山ともいうべきデパートで全身一式の服を買うというのは果てしなき道だ。単にお財布の問題だけではない。
だが私も夫のことを笑えない。ファッションへの興味が薄いまま32年が経ってしまった。ほしいお皿は山ほどあるのに、ほしい服は浮かばない。クローゼットがもっと広ければなぁ!と思いながらファッション誌をめくる代わりに、食器棚がもっと広ければなぁ!と苦しみながら蚤の市を徘徊している。
そう、とっかかりに恵まれないものもあるのだ。
なんとなく縁遠いままのもの、ハマったら面白いんだろうなぁと思いつつも通り過ぎてしまったもの。
「デパートで服を買うための服がないんだよなぁ」
夫はしみじみと言う。靴を買うための靴がなく、服を買うための服がない。最初の一足に、最初の一着に、どうしても辿り着けない。連続の輪に入ることができない。
「デパートに入るときは、みんなスーパー銭湯の館内着みたいなのに着替えることになってたらいいのになぁ…」
お洒落な人は卒倒するだろう。
話は突然変わるようであるが、先日我が家のコーヒーメーカーがとうとう寿命を迎えた。
新婚時代に義両親に買ってもらったデロンギのもので、七年間我が家のコーヒーを作り続けてくれた。
調子のよくない日々が続いていたが、とうとう完全に壊れてしまった。
お義母さんが鍋でお湯を沸かしているのを見てから電気ケトルもやめてみたのだが、なかなかよい。コーヒーメーカーがなくなると、いよいよキッチンはすっきりした。これも案外よい。
問題は、当然のことながら、コーヒーが飲めないことである。
シンプルなキッチンを維持するため、コーヒーメーカーを買わないとすれば、ハンドドリップになるだろう。
だがそれも凝り出すと意外に物が必要だ。まずお湯を注ぐためのケトルがない。口が細くなっているコーヒーのドリップに適したかっこいいやつ。そして陶器製とかガラス製のおしゃれなドリッパーに、木製の持ち手がついた様になるコーヒーポット。
物欲が燃え盛るなか、Amazonと楽天をひたすら徘徊する。ああ、おしゃれだ。これでコーヒーを入れたい。でも高い。ハンドドリップのグッズを一式揃えるくらいなら、コーヒーメーカーを買う方が全然安上がりだ。
いや、いちいちカッコつけすぎなのだ。見よ、HARIOのリーズナブルなセットなら973円でドリッパーもポットもコーヒーフィルターにスプーンまでついている。あとは安いやかんでも買えばいいではないか。
しかしせっかく買うならちゃんとしたものの方がいいんじゃないか?だって大好きなキッチンに並ぶもの。やかんより口が細くなったコーヒー用のケトル?デザインも大事だよね?やっぱり大好きなホーロー製がいい!でも高い…ヴィンテージものもチェックすべき…?いや待って、そもそもこれ以上置く場所もないし…
だんだんとコーヒーのことを考えると頭が痛くなってきた。楽天とAmazonのお気に入りに入った数々のコーヒーグッズを見るとくらくらする。すべてはカッコつけたがりな性格ゆえである。
最初に全部そろえようとするからいけないのだ。いきなり料理教室のコース料金を払うのではなく、まずは今夜食べたい親子丼を作ってみればいいじゃないか。
コーヒーの世界は深い。ハマりだしたらきっとヴィンテージのコーヒーミルを探し出し、コーヒー豆に凝り出し…というワンダフルワールドに誘われるだろうが、それはまだ先の話。
さあ、最初の一杯を入れてみようじゃないか!
こんな壮大な物語と理論武装と疲労と苦渋の決断を重ね、私がAmazonで購入したのがこちらである。
532円のドリッパー。
とりあえずこれをマグカップの上に乗せて、お湯をたらせばコーヒーが飲めるのだ。やってみよう。
メリタの昭和館漂うパッケージ。この「おいしいコーヒーの入れ方」を忠実に守ってやってみる。なにせこのドリッパーはほぼワンコインでありながら、Amazonでのレビューが異常によいのである。
まずはセット。ワクワクする!
お気に入りの小川珈琲。付属のスプーンで分量通りいれる。
あ、お湯を注ぐための口が細いケトルが云々の話はどうなったかって?
これで行く。
ホーローのミルク鍋。電気ケトルを撤去した今、これでお湯を沸かして紅茶も入れている。珈琲もいってみよう。
最初に少し垂らしてから30秒待つ。
気づいたのだが、意外にちゃんと少量を注げる。ホーローミルク鍋 is 最高。
そのあとは一気に注ぐらしい。
うわッこれめっちゃ楽しいッ!
なんかとびきり美味しい珈琲が生産されている手応えがある。そう、私は自分大好き単純人間で、手応えを感じやすい性格である。
こうして、約7年ぶりのドバッと入れたハンドドリップ珈琲が完成した。
夫にもいれて、朝食に出してみる。
緊張しながら一口。
「ねえ、どう思う…?」
「なんか…なんか違う…すごく違う…おいしいッ!」
どんなウイスキーも味の違いがわからないからトリスでいいという財布にやさしい大男の、頼もしい賞賛を受けた。
さて、結論を言おう。
私は完全に満足してしまった。523円のメリタは、奥深きコーヒー界へのとっかかりになるにはあまりに優秀すぎた。あるいは我々の舌が単純すぎたのか。どちらでもよい。
私は毎朝鼻歌まじりに、これをマグカップの上に乗せ、小鍋で沸かしたお湯をドバッと注いでいる。大変雑だが大変おいしい。
「おいしいね」
隣で満足げにすすっている夫の背中には、もちろん大量の毛玉がついている。
とっかかりに恵まれない世界もまた、あるのだ。
私は想像する。デパートの入り口で「スーパー銭湯の館内着みたいなやつ」に着替えるとしたら。くたくたに洗われた甚平は着心地が最高で、完全に満足してしまう予感しかない。
こうしてホーローケトルも珈琲ポットも何一つ増えることなく、シンプルなキッチンが維持されたまま、ハンドドリップコーヒー奮闘記は幕を閉じた。
もちろんそうである。
とっかかりに恵まれなくても、毛玉いっぱいでも、楽ちんでごきげんであるという最大の喜びがあるのだから。
▽ちなみにこれが愛用中のです▽
Sweet+++ tea time
ayako
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