三十四歳の夏休みと憧れの「カフェ読書」奮闘記

2022年の夏が終わる。

私は何をしていたか? 読書である。

六月下旬、何気なく手に取った文庫本から勢いづき、二ヶ月半で三十冊ほど読んでしまった。ブログもSNSも更新されないはずである。

子どもの頃、毎週末図書館で本を借りてくるのが楽しみだった。暇すぎる夏休み、畳に転がり夢中で読んだファーブル昆虫記にシートン動物記。きっともうこんなに読書にのめり込める日は来ないんだろうと感傷的な予感に浸っていた自分に教えてあげたい。大人になっても全然読める、むしろ今、読書くらいしかできることがない。

子どもから見る三十四歳はとんでもない大人だったが、現実はヒーヒー言いながら小学校に通っていた頃と変わりなくヒーヒー言いながら育児をこなしている。大人とは想像以上に余裕のない生き物であり、読書はまとまった時間がなくてものめり込める唯一にして画期的な娯楽であった。五分でも、いや一分でもいい、ページをめくれば始まる未知の世界。

夏といえば文庫本、手に馴染む紙の感触、ひたすら活字を追う快感、本にまつわるどれもこれもが素晴らしく心躍る。ぶらりと入った古本屋で出会う運命の一冊(憧れ)、冷房の聞いた本屋で心ゆくまで本を選ぶひととき(理想)、カフェでコーヒー片手に楽しむ読書(夢)、寝かしつけ後ジャングルのように散らかった部屋の中ボロボロの状態で開く一ページ(現実)…

カフェで読書したい。

それはこの夏私が最も渇望したことだった。昔はむしろ退屈な部類の行為だった。いつでも当たり前にできることに、人は価値を感じにくい。ふつうに椅子に座れること、静かに本を読める空間、誰かが作ってくれるすてきな飲み物、ただ読書しに行くという贅沢。ああ、なんという優雅なる世界…

一時間もあれば実現可能だろうが、今となっては宇宙旅行に匹敵する世紀のイベントである。赤ん坊だけならベビーカーで寝かせれば可能だろう。ほとんど身一つに近い。しかし今は一日中暴れている四歳男子と三十分しか昼寝しない〇歳児と共にいる。「椅子にただ座る」の部分が奇跡に分類される。

週末は週末で、家族四人で電車に乗りグルメ(主にトンカツやステーキ)を堪能すると決まっている。なんなら平日よりハードである。私たち夫婦は、互いにひとり時間を取る、というようなことをしない。夫は家族全員で移動し、家族全員で肉を食べるのを楽しみとしている。

私は密かに夢想する。

宝探しするように古本屋を巡り、広々とした大型書店をくまなく眺め、好きな文庫本を買い、カフェや喫茶店で収穫の本のページをめくる。本好きにはたまらない夏の週末、場所は言うまでなく神保町。ここまでの贅沢は望まない、せめて近所のチェーン店でよいから、カフェで読書ができたら…

「週末行ってくれば?」

神、もとい夫が言った。

平日に疲れすぎてダークサイドに堕ちていた私に、輝かしい手が差し伸べられた。いつのまにかダイエットに成功し、長身細身となったためにブログの登場頻度が減った夫である。

「ランチとか食べてくればいいじゃん」

思えばもう何年も、ひとりでカフェなんて行っていない気がする。ここはありがたく自由時間を取らせてもらおう…

かくして八月某日、私は宇宙旅行へと旅立った。用事を済ませた駅で、行ったことのないカフェに入る。さりげなさを装って入店したが、実際には楽しみすぎて心臓が祭りの太鼓状態である。ちょうどお昼時だったがお客は私ひとり。ゆっくりとメニューを選んだりするのも一億年ぶりくらいだろうか。心の中で神輿が走り回る。

興奮を隠し、涼しい顔でハンバーグとキッシュのランチに、食後のホットコーヒーを頼む。

(カフェに入ったところだよ)

夫にLINEをした。子ども二人を見てくれているのだ。感謝しかない。さあ、満を辞して文庫本を開こう…!その瞬間、夫からLINEが来た。

(こちらも出発しました)

出発…? どこへ…?

呆然としつつも、頭ではあまりに冷静に理解していた。

彼らはここへ向かっている。

たしかに「合流できたらいいね」とふんわり話してはいた。しかしそれは食後のコーヒーを飲んだあたりで、「どんな感じ?どっかで待ち合わせしよっか」といったやりとりの上に実行されるはずだった。ひとり時間を満喫したあとに再会する子どもはさらに可愛く、夫はもはや俳優並み、そんな予定だった。しかし彼らはすでに出発している。地下鉄の二駅隣である。あっという間に着くではないか。

思えば夫に「カフェで読書する」などという概念はないのだ。ランチを食べる場所。トンカツ定食をかきこむ場所と所要時間の感覚は同じである。

呆然としていたら、ハンバーグやスープが運ばれてきた。気を取り直していただこう。ゆっくりと堪能する外食、それも今回の一大テーマだったのだ。

いつも四歳〇歳の食事を手伝いこぼしたものを拾い口の周りを拭きポップな声とひょうきんな顔であやしながら、合間に自分のごはんを高速でかきこんでいる。食事というより競技である。今日こそゆっくりと、一口一口を味わいながら楽しむのだ…

気づいたらお皿は空だった。ハンバーグはマジックショーの如く秒で胃の中に移行していた。食事という競技、一日三回欠かさず練習に励んできた故に、もう意識しなくても高速技を体が覚えていた。継続は力なり。ゆっくり食べる方法がもはやわからない。

急いで本を読まなければならないッ!

この日のために、とっておきの旅エッセイの文庫本を用意してきた。めくるめくカフェ時間のため、読まずに取っておいたのだ。まだ数行しか目を通していないのに、我が家のメンズはこの一分一秒で着実に近づいている。

焦る私のもとに、食後のホットコーヒーがやってくる。

熱い。だがこちらも積極的に飲んでいかなければ。彼らはもうすぐ到着するだろう。安定の真夏日、外は炎天下、カフェの前で待たせるわけにはいかない。到着のLINEが来たら速やかに出られるように、コーヒーを飲んでおかなければ。熱い。しかし飲もう。読もう飲もう読もう飲もう…

寒い。冷房の効かせ方が異常だ。だが異常なのは自分かもしれない。いつも子猿二人を巻きつけた母猿状態なので、とにかく暑く、私は薄着である。ノースリーブのトップス一枚に、ショートパンツ。持ってきたカーディガンを羽織れば足が寒いし、足にかければ肩が寒い。カーディガンをあちこちに移動させながらとある思いがよぎる。これなら散らかってるけど適温の家の中で読んでる方が快適なのでは…

いやいやいやいや、そんなことあるわけがない。

集中しなければッ!

とはいえ、勉強のように必死で読むのもおかしい。コーヒーを飲みながら、こう、さりげなく、ゆったりとページをめくって…

それにしても、このカフェの雰囲気は微妙に期待から外れていた。外観はお洒落な感じで通る度にいつか入ってみようと思っていたのだが、なんとなくインテリアがおばさま趣味と言おうか…お皿も微妙に私の好みと違ったなぁ…窓が小さくて陽の光も入らないし…いや、全てがささいなことではあるのだけど、数百年に一度の大彗星接近もとい貴重なカフェ時間に選抜されるべき店だったのだろうか? これなら散らかってるけど日当たりの良い家の中で読んでる方が快適なのでは…

邪念を抱くなッ!

(今着いたよ。店の前です)

*・*・*

 

こうして三十四歳の夏休みは終了した。めくるめく四十五分間であった。

私はさらに可愛くなった子ども達と、俳優並みの夫とトンカツ屋に赴き、寝かしつけ後はいつもどおりジャングルのように散らかった部屋で読書を満喫した。数百年に一度の大彗星は心浮き立つが、毎晩の月明かりほど愛しいものはない。ときに疲れすぎて白目をむきつつも、数々の美しい物語に誘われた、2022年夏であった。

たとえ足元にプラレールとブロックの海が広がっていようとも、本の世界に入り込めばこちらのもの。

(カフェ読書成功記も、いつか書きたいものである!)

▽成功した日も書きました▽

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今日のおすすめ

この夏読んだ本のうち、特に面白くて心に残っている五冊です。

よかったら読んでみてね。

Sweet+++ tea time
ayako

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