「自由」は長旅に出たが、楽しく留守を守りたい

自由を感じた瞬間、というものでいくつか記憶に残っているものがある。

一つめは十九歳の初夏、大学入学の諸手続きや履修登録などを無事に終え(私はとてもドジなので不備がないか緊張していた)、晴れてゆったりとした気持ちでキャンパスを歩いていたとき。瑞々しい新緑の下、きらめく木漏れ日はそのまま未来を照らしていた。これから受ける授業や学びたい言語、読みたい本や歩きたい街、やってみたいことで胸がいっぱいだった。

二番めは大学四年の初夏、授業と授業の合間に友達とランチを食べに行ったとき。ちょっと時間あるからお昼行こうか〜と二駅電車に乗って下北沢の「KAMERA」というカフェに入った。カウンター席でブラブラする足、爽やかな空気の感覚。なんとなく電車に乗ってなんとなく目についたカフェに入り、ロコモコ的なプレートを食べた。その時に感じた自由は、空っぽのポケットに好きなものを拾い入れるような、余白の時間。来年は社会人でこんな時間もないんだろうなぁとぼんやり思っていた。

三番めは二十六歳になったばかり、春の初めだった。会社を辞めて暇になった平日、前からずっと行ってみたいと思っていた馬喰横山の「フクモリ」というカフェにいた。初めて見るEAST TOKYOの街並み。問屋街にちょこちょことおしゃれなカフェや雑貨屋があって面白い。通りをぼんやり眺めながらメニューを開き、好きな飲み物を選ぶ。これから何をしようかなぁ、と思っていた。ネイルスクールに通っていて、アクセサリーも作ってみたくて。憧れの街で二人暮らしも始まった。

*・*・*

 

そんな日々からだいぶ時が経った。

来月四歳になる長男は、二年保育の幼稚園に入る予定なのでまだどこにも通っていない。ときおり一緒にプレ幼稚園に行く以外は、赤ちゃんと三人でダラダラ過ごしている。予定がない、毎日行かなければならない場所がない、という意味では今も相当に「自由」である。

お気に入りの移動パン屋がある。月曜日と水曜日の二時十五分にマンションの前に来るのだが、今までに二回しか買ったことがない。部屋でごろごろ過ごしている。するとパン屋トラックの音楽が聞こえる。あ!時計を見ると二時十五分である。サッと財布を手にサンダルで一階に降り、お目当てのパンを数個買ってエレベーターに乗る。帰ったらすぐにおうちティータイム。脳内ではこんな感じだ。

しかし現実版は約十キロの次男をベビーカーに入れ、外出イコール砂場だと思っている三歳を説得し、説得が成功したとして、トイレ手洗いうがい靴下麦わら帽子リュック日焼け止めなど、お出かけのための儀式的準備をひと通りこなさなければならない。何とか出発できた頃にはパン屋のトラックはすでにそこにいない可能性が濃厚、間に合っても買い物後は砂場に行かなければならない。そして砂場からいつ帰れるかは未定である。

パン屋=エベレスト

この方程式が成り立つことになる。

面倒くさがりな私はしたがって、パン屋トラックの陽気な音楽をBGMに部屋でダラダラする方を選んでしまう。だってエベレスト登山ですから。絶品クリームパンを夢想しながら、ほぼクリームパンのような次男の手を握り、パン欲をごまかしている。

そんなこんなで「自由」な日々を過ごしている今日この頃、言うまでもなく平日は公園絵本水遊びショッピングモールのローテーションである。最近になって長男は夜眠る前に翌日の予定を聞いてくるようになった。

「明日はなんだ?」

こちらが知りたい。

*・*・*

 

三年ほど前だろうか、会社員だった頃の元上司と同僚たちに会ったとき、「毎日何してるの?」と聞かれた。「子どもとひたすら公園散歩してますよ」と答えたら皆から「ふあああ…」と声が漏れた。

「なんや優雅やなぁ〜!」(元上司は関西人)

え?!優雅?!?!?

私は衝撃を受けたが、はたと思い至った。おそらく元上司と同僚たちの思い浮かべる公園散歩とは、日比谷公園をゆったりと歩くようなやつなのである。カフェラテ片手に、時にベンチに座って、美しい都会の植栽を眺めながら。優雅だ。かたや私の公園散歩は、いつも同じ下町の児童遊園で、階段やら滑り台やらブランコやら、狂気の永遠ローテである。切り上げる時間も恐怖の未定。三十分だけサクッと散歩しよう!などと軽く外に出たら二時間コースなどということはザラである。

*・*・*

 

休日の概念にも異変が生じている。休む日、と書いて休日であることに衝撃を受ける日曜夜。

「もう休日が、終わる…?」

夫と顔を見合わせ、呆然とする。

長男一人を育てていた頃、「そういえば最近なかなか自由時間取れないな〜」などというときの自由時間は「刺繍したりブログを書いたりする時間」のことであった。

ちなみに今は「ソファーにただ座る時間」を意味している。

*・*・*

 

自由、散歩、休日、いろんな言葉の定義が変わった。

*・*・*

 

そんなあれこれを夕食の時間に夫と話していた。

海外旅行に経つ前の空港での浮き立つような気持ち。ハワイ、タイ、ベトナム、南国のリゾートホテルで朝食ブッフェを楽しみつつ今日はどうしようか、と話し合った時間。いやむしろ、毎週末、今日は何しようかと言っていた。目的もなく地下鉄に乗っていたし、昼からビールを飲み、ゆったりと午睡を取り、夜から自転車に乗ってレイトシアターを見に行き、また飲みに行ってもいい。何をしてもいい。そう、自由はいつだって眩しくも平和な未定であった。

遠い目をして夫がつぶやく。

「あの頃は自由だったなぁ…」

すると聞きなれない言葉に反応して長男が大声で訊ねてきた。

 

「自由どこ行った?」

 

こちらが知りたい。

弟に鉄道の本を読んであげる兄

自由は長き旅に出ているが、楽しく留守を守りたいと思う。

Sweet+++ tea time
ayako

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