「絶対またいい出会いあるからッ!」
「そうそう、前むいて行こうッ!」
かつての私も、こんな無責任でありきたりな台詞を口にしていたかもしれない。若さとは残酷で恐ろしいものである。
だが今ならわかる。
"いい出会い" などというものは滅多に滅多に滅多にないし、なんなら一億年に一回くらいしかないんじゃないかくらいないし、そんな奇跡の出会いをふいにしたとすれば、簡単に前など向けるはずがない。だってもう何年も血眼になって探し、やっと出会えた運命の存在なのだ。
あ、言い忘れたが今、私は鍋の話をしている。
キッチン用品に無類の愛を持っている。
可愛いミトン、おしゃれな木のトレー、東欧食器にキッチュなまな板、ノスタルジックな花柄ティータオル…
だがモノにあふれた2020年、オシャレで可愛いキッチン雑貨など探すまでもなくそこらじゅうに転がっている。
特に食器なんてどんどん新作が出るし、ヴィンテージだって美しいものが多い。基本的には選び放題であり、置くスペースと買うお金の問題だけなのだ。
そう、鍋を除けば…
「かわいい鍋が見つかればもう一つ買いたいな〜」
漠然とした希望だけを胸にキッチン雑貨店を覗いていた頃、私はまさかこんなにも長い道のりになるとは思っていなかった。
理想の鍋を探してもう何年経ったであろう。
ブランドや特別な機能、高価な圧力鍋などは求めていない。素朴で愛着のわく存在、それが全てである。そう、たとえばロシアのダーチャでおばあさんがジャムを煮詰めているような花柄ホーローのノスタルジックな鍋…(例えが細かい)
今使っているのは直径18cmほどの小鍋で、それはもう私の好みど真ん中の大大大好きなデザイン。
白地に花柄模様のホーロー製、取っ手部分は木という最高の素朴なかわいさ。
24歳で一人暮らしを始めたときに渋谷のアフタヌーンティーリビングで買った。もう8年使っているしこれからも当然使う。
いろんな雑貨ブランドがテーブルウェアまでしか出していない中、かわいいまな板、包丁、鍋、フライパンなど調理道具まで展開してくれるアフタヌーンティーは神としか言いようがない。
だが写真を見てわかるとおりボルシチを作るときに具があふれてしまう。スープ類は毎日作るし王子も成長する。さすがにもう一回り大きい鍋が必要になるだろう。
焦ってイマイチなので妥協したくない。長年を共にするものなのだ。運命の出会いを求め、万全の策を打たねばならない。こうして私の婚活ならぬ「鍋活」がスタートした。
白地にノスタルジックな柄(花柄がベスト)が入った両手鍋。直径20cm以上。ホーロー製、持ち手部分は木製だとなおよい。中古可、むしろヴィンテージ歓迎。
「やさしくて面白い人」などと言っている場合ではない。明確なビジョンが大事なのだ。
「ホーロー 鍋 おしゃれ」「ホーロー 鍋 北欧」「ホーロー 鍋 レトロ」「ホーロー 鍋 花柄」「キャセロール ヴィンテージ」「両手鍋 かわいい」「シチューポット ホーロー おしゃれ」「アフタヌーンティー 両手鍋 ホーロー」思いつく限りの検索ワードをGoogleはもちろんあらゆるオンラインショップで試してきた。
Amazon楽天はもちろん、北欧暮らしの道具店にベルメゾン、アフタヌーンティー公式ショップ、もちろんメルカリのパトロールも怠らない。出てくる鍋出てくる鍋、「はいまたアナタね〜」という感じで写真も値段も見慣れたものである。デンマークのDANSK、フィネルのVEGETAシリーズ、ライヤ・ウオシッキネンの茶色い花柄、スウェーデンのコクムス。
悪くはないがグッと乙女心を鷲掴みにしてくるような一点に出会えない。なにも鍋に乙女心を鷲掴みにしてもらわなくてもいいじゃないかという気もするが、とにかくかわいい鍋で料理をしたい。
検索だけに頼るのは初級も初級である。
ツイッターとインスタで常に素敵なショップをリサーチしていることは言うまでもない。ヨーロッパヴィンテージの好みの店を見つけては興奮してフォロー、オンラインショップに飛び「キッチン」カテゴリーをくまなくチェック。お皿なら山ほどあるのに鍋はない。もう一度言おう。
鍋はない。
だが運命の出会いというのは突然である。諦めた頃にふいにやってくる。もう恋なんてこりごり!と思っているところに隣人が越してきてドラマは始まるのだ。
とある夜、それも深夜1時、私はいつもどおりインスタヴィンテージ食器パトロールをしていた。今までも定期的にチェックしていたオンラインショップのキッチンカテゴリーを、見るともなしにスクロールする。お皿とか調味料ポットはあるけど鍋はないんだよね〜と思いながら諦めのスクロール。
瞬間、指が震えた。
私の好みど真ん中の鍋が、ある…
しかし飛び上がってはいけない。好みのものに限って「SOLDOUT」の無慈悲な文字が躍るのである。今まで何度落胆してきたことか。
だが今回は違った。在庫がある。もちろんヴィンテージ品なので一点だが、在庫があるッ!!!!!
指だけでなく全身が震えだした。ドラマが完全に始まった。
ホーロー製の両手鍋。21cmでサイズも合格。焦げ茶色の蓋が艶やかで美しい。ひまわりのような花とニワトリが交互に並ぶノスタルジックで可愛らしいデザイン。
ヴィンテージ品だが未使用のもので傷みもない。どこの国の何年ものなのかはわからないが、そんなことはどうでもいい。写真を見ただけで運命の鍋だと確信した。愛が無限に湧いてくる。私はこの鍋でボルシチでもラタトゥユでもなんでも作るだろう。
そのうえ値段も手頃だった。ヨーロッパヴィンテージの鍋というのは「びっくり万円」または「とってもびっくり万円」なことが多い。だがこれは1万円ちょっと、納得万円である。
急いでカートに入れなくちゃッ!
初めて買いものをするショップ、住所や名前などの入力をしなければいけない。深夜一時、ほかにもこのニワトリ柄の鍋を見ている奴がいるのではないかと思うと気が気でない。
だがそれと同時に、寝室でお腹をだして熟睡している夫にも相談しなければならない。
図らずもこの日は、「ちゃんと家計簿を入力していこう!」と決意した日であった。「キッチン雑貨と服は当面買わないことにするよ」と胸を張った覚えもある。だがこの鍋は例外だ。
私は隣室で寝ている夫にLINEした。
足元に転がっていた夫のiPhoneが虚しく音を立てただけであったが、関係ない。直感と即断、そして実行力が求められる、鍋活の鉄則である。
注文は無事に完了した。自動メールを確認すると、このあとショップから在庫確認と入金案内のメールが来るらしい。個人の店ではよくある流れだ。滞りなく手続きを進めなくては。私は胸の高まりをどうにか押さえ、王子に占領された布団の隅っこに潜り込んだ。
「私は、私はとうとう理想の鍋を手に入れましたーーーーッ!!!」
ああ、本当は声高らかに自慢したい。通りの人々に伝え歩きたい。深夜一時に歩いているひとなどいないのだが。なんとか心を鎮めようと、家族のLINEグループに「理想の鍋をとうとう見つけたよ」という一言だけ打ち込んで寝た。
ここにあのニワトリ鍋が来るんだな…
私はコンロを見るたびにニヤつく奇妙な女として週末の二日間を過ごしていた。
似合いすぎる。もう私のキッチンに置かれるために作られた鍋だと言っていい。ここに鍋を置きボルシチとかポトフを大量に仕込む日々…想像しただけで心躍る。到着したらすぐに写真を撮らなければ。もちろん置いておくだけでもいい。鑑賞と実用を兼ねた最高の一品なのだから…
妄想に妄想を重ねながら、私は何度もショップからのメールを確認する。完全に恋する乙女である。まだ来ないな。早く入金して注文を確定したいッ!
夢の時間というのは、あまりにも儚い。
儚いからこそ夢なのである。
「ご注文品キャンセルのお願い」
無慈悲なタイトルのメールが私を絶望の淵へと追いやったのは、日曜の夕刻のことであった。
うわあああああああああああッ!
崩れ落ちて文面を読む。実店舗とうまく連動できていなくて、在庫がないのに購入できる状態になっていたという。ああ、そんなことだと思っていた。何もかもうまくいきすぎだったんだ…
そう、越してきたステキな隣人には既に彼女がいた。ドラマは簡単に始まらないのである。
「ayakoさん、どうしたの!?」
ただらぬ状況に夫も心配してくれる。
「あのね、昨日の夜のね、あの運命の鍋が…もう売り切れてなかったんだって…買えてなかったの…」
「昨日の夜…?運命の鍋…?」
私のLINEを気にも留めていないのである。だがそんなことは今どうだっていい。
「ああ、せっかく理想の鍋に出会えたと思ったのに…」
念のため言っておくが、お店には何の恨みもない。当然である。丁寧な文面のメールも嬉しかったし、お詫びにお店のパンフレットを送ってくれるとまで書いてあった。なにより、あんなにも美しい鍋を見つけてきてくれてありがとうという気持ちである。
だが悲しい。ただただ悲しい。
「大丈夫、またいい鍋に出会えるよ!」
夫の慰めが虚しく宙に浮く。人はみなそういうのだ。
「絶対またいい出会いあるからッ!」
「そうそう、前むいて行こうッ!」
いつまでも落ち込んでいる私を元気づけようと思ったのだろう。最後に、買い損ねた鍋の写真を見ながら、夫はこうのたまった。
「ayakoさんの理想の鍋って、これなの!? こんな鍋いくらでもあるって!」
朗らかに笑って提案する。
「さあ、『ニワトリ 鍋』って検索してみようよ」
他人のアドバイス、それは時として恐ろしいものである。
理想の可愛い鍋にたまたまニワトリの絵がついていただけで、私はなにもニワトリ柄の鍋を求めているわけではない。
無事に購入できた暁には、またブログでご報告したい。
だが案外、スーパーで見かけた何の変哲もない鍋を購入して、何十年と使うことになったりするかもしれない。そう、婚活も鍋活も、結局はご縁と勢いなのだから…
▽鍋活奮闘記は第2話へつづく▽
Sweet+++ tea time
ayako
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