「不用品の処分に、あえてフリマアプリを使いません」
本か雑誌のどこかで、シンプルで素敵な暮らしをしている人が言っていた。
メルカリなどのフリマアプリを使わないことで、かえってすっきりとした生活が保てるらしい。
確かに「失敗したらメルカリで売ればいいや〜」というような気持ちで買い物をしてしまえば本末転倒だ。ものを捨てるという罪悪感から逃げないことが肝なのだろう。
「メルカリに出品しなきゃ」組、「出品したけど売れ残っている」組、そして「梱包に使えそうだから捨てられない箱や緩衝材」が常に部屋や脳の一角を占める生活は、シンプルとは程遠い。
そもそも、フリマアプリで売ったり買ったりしていては永遠に片付くはずもない。
「なるほどなぁ!」私は即座に感化された。読者の皆さんはご存知のとおり、非常に影響を受けやすい性格なのだ。
一年半前、華々しいメルカリデビューを果たした私は、売る側と買う側両方でメルカリライフを満喫していた。利益100円ちょっとの文庫本をせっせと売り、大好きなグリーンゲイトの皿を買い集める。
だが子育て中の今、時間より大切なものはない。売れ残ったものは思い切って処分しよう。これ以上アプリのを眺めて皿をポチるのもやめよう。勢い勇んでメルカリのアプリをiPhoneから消した。
華々しいシンプルライフの幕開けである!
話は突然変わるようであるが、私の子育てには相棒がいる。
それはベビーシッターでもばあばでもなければもちろん夫でもない。ご覧いただこう、彼(彼女)である。
この何の変哲もない、手のひらに収まるミニオンのぬいぐるみ。これが王子の、大のお気に入りなのである。
とにかく気づけば持っている。
厳密には持っているのではなく吸っている。
見づらい写真になってしまったが、このミニオンの脇腹から飛び出しているタグをチュパチュパ吸っている。とにかく吸っている。吸いながらグズついた心を落ち着かせ、夜はひとりでに眠りにつく。
そう、大事なことなのでもう一度言う。
夜はひとりでに眠りにつく。
赤子のころは添い寝で授乳したり抱っこで揺らしたり、寝かしつけというのは非常に厄介なイベントであったが、今やこうである。
ミニオン、あなたは神ではありませんか?
ちなみに昼寝もミニオンでイチコロである。
夫がシンガポールで買ってきてくれたミニオンが、もう何ヶ月も王子の寝かしつけを担当している。夫のお土産選びセンスも捨てたものではない。
何かを得ること。
それは失う恐ろしさと常にとなりあわせなのである。
あのミニオンがいなくなったら、日々の子育てはどうなってしまうのだろう。夫とふたりで震える日々が始まった。ネットで同じのが買えるでしょうと高を括っていたが、Amazon楽天どこを探しても見つからない。
「似たような手のひらサイズのぬいぐるみを買っておこうッ!」
夫はそう叫び、100円均一の中に飛び込んでいった。そうして選ばれたのがこのライオンのぬいぐるみである。
だがご覧いただきたい。
彼(彼女)には立派な尻尾があるものの、肝心のタグがついていないのである(イケアのぬいぐるみとかもそうだけど、外国製品の方がタグはよくついている)
案の定、王子は見向きもしなかった。
夫は香港へ飛んだ。厳密には仕事のため出張で香港に行ったのだが、そこで彼らを連れ帰ってきた。
ご覧いただきたい。
あのシンガポールミニオンと同じお手玉サイズの、ディズニーツムツム。肝心なのは、サイドである。
立派なタグが、ついている…!
私は歓喜した。夫よ、なんて気の利く男なんだ…!誕生日もホワイトデーも何もなかったけどすべて帳消しとなった。それくらい私ははミニオンの代役を欲していたのだ。
新しくやってきた手のひらダッフィーを恐る恐るおもちゃ箱に投入し、固唾をのんで王子の反応を遠くから眺める。
いぶかしげにタグを触った後、勢いよく投げ捨てた。
第一ラウンド、完。
やはりタグだけではないのだ…ミニオンの顔も重要なのだ…
焦った私は、フリマアプリで猛烈な検索を開始した。メルカリ再ダウンロードである。
シンプルライフが高速で去って行く足音を聞きながら、私は入力していた。「ミニオン ぬいぐるみ」「ミニオン ツムツム」「ミニオン お手玉」…メルカリ、ラクマ、何でもこい。できれば同じ顔の、せめても同じ形状のミニオンを何としてでも手に入れたいッ!
スクロールし検索ワードを変え、またスクロールし…努力に努力を重ね、私はとうとう見つけたのである。メルカリで、まったく同じ白い帽子にピンクメガネのミニオン(新品未使用タグ付き)を二つ出品している人を…
奇跡である。
さて、フリマアプリの中には、現実世界と同じように、「おおらかで気さくそうな人」と「細くて面倒くさそうな人」がいる。前者とだけ付き合っていきたいけどそうもいかないところもまた、現実世界と同様である。
私のお目当てのミニオン出品主は、奇しくも後者であった
それはプロフィールを見なくても、ハンドルネームだけでわかる。
【プロフ必読!!即購入禁止!!】kimuzuk-asi
私はゴクリ…と唾を飲み込んだ。覚悟を決めてプロフィールに飛ぶと、とんでもなく長い注意書きが延々と続いている。
「他サイトでも出品しているので、即購入しないでください。必ず一言コメントしてください。コメント逃げ禁止。必ず返信してください。マナーのない方とのお取引はお断りいたします。値下げ交渉は一切お受けしません。中古品、新品未使用でも素人の自宅保管なので神経質な人は購入しないでください。梱包材は再利用させていただくことがあります。300件を越えるお取引の中で、普通評価や悪い評価をつけてこられた方が二名いますが、…(中略)…完璧を求める方はご遠慮ください…(続)」
めちゃくちゃ怖い。
だが私は完全なる弱者である。ミニオンが欲しい。どうしても欲しい。あのぬいぐるみは我が家にとって唯一無二のものであり、それが一体500円で売られているのである。下手に出るしかない。
「はじめまして。こちらのぬいぐるみ二点を購入希望です…」相手を怒らせることがないよう細心の注意を払いコメントを入力する。
すると、返事がなかった。
返信が遅かったりすると粗相になると思い、私は異常な頻度でメルカリのアプリを開きコメントを確認するのだが、一向に返信がこない。二日経ち、三日経った。どうしたのだ…だが催促する勇気などない。怒らせたら大変だ。ハラハラし、やきもきする。まるで叶わぬ恋愛に翻弄する乙女のようである。
どんな困難も、苦しい恋愛も、いつかは終わる。渦中にいるときには絶望しかなかったそれらも、過ぎてしまえばいい思い出になっている。人間の記憶というのは、そうやって都合よく、ちょっとずつ書き換えられていくのだ。
ご覧いただきたい。今、我が家には同じミニオンが三体そろった。
すべては終わったのだ。数日後に返信が来たときの安堵といったら説明しようがない。
私は彼らをローテーションで洗い、漂白し、順番に干して太陽光に当てる。あまりにもタグが汚れてきたものは、自分の洋服に付いているタグを同じサイズに切り取って、わざわざ縫い変えている。
すべては円滑な育児と、日々の平穏のためである。
知らなかった。「子育て」というこの三文字の言葉には、こんなにも多岐にわたる内容が含まれていたなんて…
マヌケ顔の愛くるしい救世主に、翻弄される日々である。
再ダウンロードしたが最後、キャスキッドソンとグリーンゲイトの皿を見に行く日々が晴れて復活した。シンプルライフは遠い。
Sweet+++ tea time
ayako
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