絵本は癒しだ。
身を乗り出してくる幼子のやわらかな温もりに、微笑ましい物語。もし同じ本を連続して10回読まなくていいのであれば、それは本当に癒しだと思う。
だが現実には最後のページを閉じた瞬間、小さな手がさっと伸びてきて本をひっくり返し「もういっきぃッ!」と威勢の良い声でオーダーしてくる。「読む」という動詞を覚えたときも震えたが「もう一回」はさらに恐ろしく汎用できるワードである。
即座に次の回を開始しないと大声で泣いて怒る、相変わらずな暴君ぶりを発揮してくる我が家の王子である。
そんな彼も一歳九ヶ月となり、物語性のある絵本を好むようになった。
中でもお気に入りなのがこの二冊である。
表紙からして完璧なるほのぼの感が伝わると思う。
物語性といっても一歳児の好むもの、展開はたかだか知れている。
まずはこちら『しろくまちゃんのほっとけーき』。
ストーリーは簡単で、クマがお母さんとホットケーキを焼き、となりのクマを呼んで一緒に食べた後お皿洗いをするだけである。
本当に純粋にそれだけである。
だが王子はフライパンの中でホットケーキが焼けていく様子に大興奮、ゲラゲラ笑っている。友達を呼んでホットケーキを食べ、洗い物をする様子をうれしそうに眺めている。
そこに何らかの楽しさを感じ取っているのだろう。
もう一冊は『ピッキーとポッキー』。
ストーリーは簡単で、二匹のうさぎと一匹のもぐらが、弁当を作ってお花見に行き、いろんな動物たちと桜の下でごはんを食べるだけである。
本当に純粋にそれだけである。
だが王子は菜の花畑に出るシーンで満面の笑みを浮かべ、みんなで川を渡るシーンでは必ず「とーん」と言って片足を上げている(「とーんと、とびこしました」という表現を気に入ったらしい)。桜の木の下に集まった動物たちを、いつも大興奮して指差している。
そこに何らかの楽しさを感じ取っているのだろう。
まだこの世に生まれて日の浅い幼子の反応を微笑ましく思いつつ、狂気寸前の朗読マシーンと化していた私であるが、最近、ふと思った。
これこそ幸福の原型なのではないか、と。
子どもの絵本なのだから当たり前かもしれないが、生活の中のしあわせ部分が見事に抽出されているのだ。
材料を用意して、ホットケーキを焼く。近くに住んでいる友達を呼ぶ。一緒に食べる。簡単そうで簡単じゃない。当たり前そうで当たり前じゃない。
誰かと気軽に会えるという世界は、もうすでに幸福で奇跡であった。
お弁当を作り、友達と遠足にいく。いつもと違う景色の中を歩き、満開の桜の下でご飯を食べる。簡単そうで簡単じゃない。当たり前そうで当たり前じゃない。
気軽に出かけてお花見ができるという世界は、もうすでに幸福で奇跡であった。
本はいつも生きるヒントをくれる。
大人になってレベルアップした気がして、気づけば分厚い本を読み、意外な展開を楽しみ、物語は奇抜さと難しさを増していく。やるべきことも考えることも山積みだし、不満はいっぱいで複雑な世界を生きているような気がする。
だけど基本はいつだって、あまりにもシンプルなのだ。
美味しいものを作って食べること、愛しい人と一緒に過ごすこと、生活をすること、いつもと違う景色の中を歩くこと、自然を感じること。
忘れているだけで、いとも簡単に奪われてしまういくつものこと。
さて、コロナ流行のため家にこもる日々、絵本を読みながらも哲学的な思想にふけっている私であるが、一方の夫はため息をついてこう言った。
「次にラーメン二郎行けるのは、いったいいつになるんだろう…」
夫にとっての平和、コロナ収束とは、気軽にラーメン二郎に並べ、気軽にトンカツを食べに行ける日々である。
ホットケーキを食ぜるクマやおにぎりを頬張るモグラと寸分違わない、いつだって幸福の定義が、基本に忠実な男なのである。
そんな夫であるが、先日、子育てについてこんな持論を述べていた。
「子どもの前では、スマホ見てるとこじゃなくて、本読んでるとこ見せた方がいいと思うんだよね」
かくして彼は、王子が家遊びしてるときだけ唐突に文庫本を開いている。こちらは毎回笑いこらえるのに必死である。
心配しなくても王子は既に、父よりずっと読書家である。朗読係の私が言うのだから間違いない。
Sweet+++ tea time
ayako
今日の話に出てきた絵本
『しろくまちゃんのほっとけーき』
超有名ベストセラーシリーズであり、王子も図書館でほぼ全部読んだことがある。とにかく一歳児を惹きつけてやまないようだ。
なかでもこの代表作ほっとけーきがお気に入りなので購入した。
『ピッキーとポッキー』
安西水丸さんのイラストが大好きな私の好みで購入した。一歳三ヶ月、物語ぽくなっている絵本としては初めてだったかも。
最初のはみがきのシーンから大のお気に入りで、もう100回以上読んだであろう…
こちらもどうぞ