オムレツを作らずにはいられない夜の話。森茉莉『貧乏サヴァラン』

あ、これ私のことじゃん。

かの名作絵本『ぐりとぐら』を読み聞かせていたら、野ねずみ2匹と35歳女性(私)が完全に一致する一節に出会った。

このよで いちばん すきなのは
おりょうりすること たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら

私の場合、

この世で一番好きなのは
お料理すること食べること
本を読むこと眠ること
すやすやすやすや

という具合であり、毎日何を作って食べるかばかり考えているし、寝落ち率は半端ないが暇さえあれば本を読み、それも食べ物のことが美味しそうに描かれているエッセイがとりわけ好きである。

ここ二週間ほど読んでいたのは森茉莉の『貧乏サヴァラン』。

森茉莉は森鴎外の長女であり、生粋のお嬢様でありながら鴎外の著作権が切れてからは生活苦も経験し、戦前戦後という時代を生き、なんといってもその一生を通じてとにかく食いしん坊である。食への情熱と愛溢れる描写の数々!

お嬢様育ちらしく家事はてんでダメらしかったが、お料理だけは自他共に認める腕前だったという。

お菜を拵えるのが道楽のようなものである。

この点において、私はぐりとぐらであると同時に森茉莉でもある。この点においてのみだが。

*・*・*

 

さて、その「道楽」である森茉莉の料理、思わずため息が漏れる一番の描写はこの一節である。

掃除や洗濯は有がたくないが、料理をこしらえるのは楽しい。とにかく、フライパンを熱して黄色のバタァを溶かす、すると私はもう楽しくなっている。バタァが溶けるや間髪を入れず卵を割って落とす。二三度掻きまわし、ふんわりとまとめ、表面を一寸焦がして皿にうつす。全く楽しい作業である。それからそれをたべるのが又楽しいのであるから、料理というものは大したものである。

料理の楽しさそのものを、こうも余すことなく表現した文章がほかにあるだろうか?

「お料理すること」と「食べること」は一セットで対になった楽しみがある。ぐりとぐらの陽気な歌と、大きな卵でカステラを作るあの楽しい物語と、森茉莉の書く美しく耽美な文章はだから、私の中でしっかりと繋がっている。

なかでも森茉莉は卵が好きで、卵料理や卵そのものへの愛を語る生き生きとした文章が幾つも出てくる。

大体卵の料理を拵えるのが、楽しい。銀色の鍋の中で渦巻く湯の中を浮き沈み、廻ったりする卵を見ていると、私は楽しくなって来て、歌いたくなってくる。又、片手にフライパンを持ち、バタァが溶けるのを待って卵の溶いたのを流し込み、箸で上手くかきまぜて、オムレットを造って行くのも、楽しい。朝の食卓で、半熟卵がなんともいえない味で咽喉に流れこんだ後、皿の上に空になった卵の殻が朝日に透けて、卵の部屋のようなのも明るい、楽しい、気分である。

この文章を読んで、オムレツを作らずにいられる人がいるだろうか?

旅行から帰ってきたバタバタの夜、疲れ切っているはずなのに素晴らしい勢いで焼いた、マイ・オムレット。

どんなミラクルな時短レシピも刺激的なインスタの料理リールも私を滅多に動かさないが、森茉莉の文章はいとも容易にオムレツを作らせる。

大胆すぎる出来ではあるけどね(焼いたプチトマトもはちゃめちゃに美味しかった)

*・*・*

 

森茉莉の卵への絶対的愛と賛美はとどまることを知らない。

大体、卵というものの形がいい。《平和》という感じがする。仏蘭西の誰だか(詩人)が言った言葉が浮かんでくる。《戦争のない、夏の夜の美しさよ》。私にとって、卵というものは私に平和な思いを持ってくる、どこかからの使いである。

卵にこんな描写が許されるとは。

食べるのは代赭色のが美味しく、薔薇色をおびて、白い星のあるのはことに美味しいが、楽しむために、真白のも買ってくる。

形も色も褒めちぎっているし、もちろん味もこうである。

卵の味には明るさがあり、幸福が含まれている。

この美しい一文の後に続くのはやはりまた、フライパンに「バタァ」を溶かしてからのオムレツやゆで卵の描写。文字を追うたびに飽きもせず料理欲がむくむくと湧いてくる。

矢も盾もたまらなくなり、今度は卵焼き入りのサンドイッチを作る。

これは友達とピクニックする日に持って行ったのだが、食べた瞬間「はぁ……本当に美味しい……」と自画自賛の一言を漏らしてしまい、思い返しては恥ずかしさに身悶えている。しかし私は自分の作ったものが本当に心から好きなのだ……

私は一寸したレストランへ行っても、自分が造ったものほどおいしくないという、料理自慢である。

森茉莉ほどの腕前と境地にはとても至れないにしろ、ね。

*・*・*

 

レシピを読んで妄想したり試してみるのはもちろん楽しい。

しかし、料理中に私の心を真に楽しませているのはもっと原始的な部分、蒸した野菜の色鮮やかさとか、鍋の蓋を開けた瞬間の旨みが凝縮した熱気、ただ玉ねぎを焼いているだけで漂う香りなどである。

キッチンで、テーブルで。目の前に広がる情景の色鮮やかさや香り、光や湯気、忘れてしまうような一瞬を、森茉莉は文章で拾い出し掬い上げ鮮やかなスポットライトで照らし出す。

作ってみたいし食べてみたい。そして永遠に読んでいたい。贅沢な読書体験に、心も胃袋も満たされてしまうのだ。

そうである。

Sweet+++ tea time
ayako

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