世の中は料理好きとそうじゃない人で二分される。
そして私は確実に「そうじゃない人」である。28年間で、それはもう揺るがすことのできない確固たる事実なのだ。
一応、ほぼ毎日何か作っている(ヘンテコな料理を)。高校生の頃から料理を始め、お弁当も作っていた。祖母に習ったメニューもあるし、ちゃんと勉強したほうがいいかもと料理教室にも通った。
△あまり更新されない(そして開かれない)唯一のレシピノート
思えば数年前、和菓子教室にも行ったのだ。なぜ「通った」ではなく「行った」と書いているかというと、初回一回のみでフェイドアウトしたからである。張り切って和菓子キットまで購入したことは、まさに黒歴史である。
たまにブームが訪れ熱心に新しいメニューを作るときもある。だが、所詮は「そうじゃない人」の気まぐれな頑張りである。
気づけばカレー、シチュー、◯◯丼、スープ、鍋みたいなアウトドア的メニューに落ち着いている。家にいるのに、毎日がキャンプファイアーである。
本当に料理好きな人は、がんばらなくても、熱心に作っているものだ。
△盛り付け勝負のカレーライス
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女友達を見ていると「そうじゃない人」なのに自分は「料理好きな人」だと勘違いしている人もいるような気がする(勝手に失礼)。また信じられないことに、私のことを「料理好きな人」だと思いこんでいる人までいる。
自分のことを「料理好き」だと思っている友人は、結婚するとき家事の分担で、料理は好きだから自分がやりたいと言っていた。
だがどうだろう。数ヶ月して、料理はあっさり夫の担当となった。私と友人は口をそろえて言う。
「だって作るのにはすごい時間がかかるのに、食べるの一瞬だもんねぇ(しかも大量の洗い物でるし)」
「そうじゃない人」は作る過程を楽しんでいないのである。
△具沢山のお味噌汁で栄養を取ろうとする
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料理好きな人の特徴はこうである。
外食で美味しいものを食べた時「家で作ってみよう」「どうやって作ってるんだろう?」と考える。(ちなみに「そうじゃない人」の思考は「また来よう」のみである。)
そして「料理好きな人」は常備菜を作るのが好きである。お腹もいっぱいにならない、今すぐ食べるわけではない細々したものを、彩りきれいに、一つ一つタッパーにしまっている写真を見ると、本当に別世界の住人だと思う。
(「そうじゃない人」はお腹が空いて切羽詰まったときのギリギリ料理であるため、今すぐ食べないものを作る余裕はない)
△たった2冊だけの料理本。広がらないレシピ
逆に、「そうじゃない人」の特徴は。
料理本を見ていてよくわからない調味料とか香辛料、調理器具が目に入った途端、別世界のことだと感じてページをめくる(または本を閉じる)
本屋でも料理コーナーを素通りし、新しい調理器具にも興味がない。
「料理好きな人」が料理の話を始めた時、「そうじゃない人」は眠くなる。永遠とレシピの話をされると退屈なのだ。
私は料理好きの祖母が新しく試したレシピの話を始めると、不思議と眠気を感じる。電話口ではいつも「うんうん、すごい、美味しそう!」などと相槌を打っているがメモも取らずにただ聞き流している。
もちろん対面で聞いている時は、孫としてちゃんとメモを取る。だが、それは単なるパフォーマンスメモであり、後にそれを見て作ることは大変稀である。(ごめんなさい…)
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もっともわかりやすい特徴を教えよう。
例えば、「そうじゃない人」も家族や子どもがいることで一時的に「料理好き」っぽくなっていることがある。
だが真の性質は簡単にわかるのだ。
それは一人暮らしの時の生活模様に現れる。
「料理好きの人」は、一人暮らしでもちゃんと探究心を持って美味しいご飯を作っているのである。シェアハウスで共有のキッチンでも、ちゃんと作り置きのおかずを作っていた友人を私は知っている。
ちなみに私は一人暮らしのとき、電子レンジで蒸し野菜連発の日々を送っていた。料理教室の先生が泣くであろう。
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最近とにかくはまっていたエッセイがある。
角田光代さんの「よなかの散歩」である。
このエッセイ集は、料理雑誌「オレンジページ」に長年連載していたコラムをまとめたもので、料理やごはんにまつわる話が多い(関係ないのもあるけれど)。
角田光代さんご自身も、本当に料理が大好きで、探究心があって、作る過程まで楽しんでいる正真正銘の「料理好きの人」である。
これが、とにかく面白い。
「そうじゃない人」代表の私にも、たまらなく面白い。
ページをめくるのがやめられなくて、ず〜っと読んでいた。
すぐ読み終わるので、また本屋に行って続編『まひるの散歩』を買った。そしてそれもすぐに読み終わった。
このなかに「やめられません」というエッセイがある。
やめられない食べ物というのは、人によってさまざまだが、本当にある。そして、私は食べやめられないことが、こわい。だって本当にとまらないんだもの。それが深夜であろうが、ケーキを食べたあとであろうが、二キロ太ったことを激しく嘆いているときであろうが、とまらないものはとまらない。「だれかとめてーっ、私をとめてー」と思いながら、食べ続ける。
なんとおそろしいことだろう。
私は「やめられない食べ物」というのが、パッと考えただけじゃ浮かばない。でも少なくとも、このエッセイ集たちは「やめられない本」であった。
それが深夜であろうが、お風呂でゆでダコ状態になってるときであろうが、仕事をしなければならず切羽詰まっているときであろうが、とまらないものはとまらない。「だれかとめてーっ、私をとめてー」と思いながら、ページをめくり続ける。
そう、なんともおそろしい読み物なのだ。
角田光代さんのエッセイがおもしろくて、読み終わっちゃったからまた買ってきた。今月と来月は忙しいので、お風呂の時間だけ読書していいことにしてる。#どんどん長風呂になっていく
— ayako@Sweet tea time (@Sweettteatime) November 9, 2016
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読んでいると、料理にまつわる話がとにかく心地よくて、ワクワクして、人間ぽくておかしくて。ああ、自分もたまには何か凝ったもの、新しいメニューでも挑戦しようかなぁと思う。料理する過程を、楽しみたいなぁ。ページをめくりながら、本当に思う。読み終えたら、すぐにやろう。本を閉じるほんの一秒前まで思っている。
だが、不思議なことに本を閉じた瞬間、その魔法のような料理熱は雲散霧消してしまう。
「やりたいこといっぱいあるんだよね。とりあえず今日は(具沢山の名もなき)パスタでいいや」
「料理好きの人」にどんなに憧れても、やっぱり私は「そうじゃない人」。
料理以外の興味へ向かって、今日も右往左往している。
そうである。
盛り付けと料理写真は、大好きです!
Sweet+++ tea time
ayako
今日の本たち