私の場合それは、信玄餅である。
会社員時代、あのミニチュアのお弁当包みのようなものがちょこんとデスクに置かれていたときの感激と言ったら。他の個包装のお菓子にはないスペシャルな佇まいである。
ああ、なんと美しい。
過去を思い、妄想の中で、私は食べる。
斜めに仕舞われた楊枝を抜き、お弁当の包みを解くように薄いセロファンのような包みをひらく。そのまま広げた包みは、ミニチュアのランチョンマットのように飛び散ったきな粉を受け止めてくれる。秀逸な仕組みよ。
期待に胸を高鳴らせつつ、黒蜜の入った小さなボトルを取り、透明の蓋を開ける。ちょうど凹んでいた部分に黒蜜を注ぐことができる。ああ、緊張する。楊枝を美しい紙包みから抜き、なるべく溢れないようにきな粉と黒蜜を餅に絡ませて、そうっと口へと運ぶ。
まるで密やかな料理をしているみたいだし、孤独なピクニックのようですらある。デスクという日常の、やるべき雑事が山積みになった現実の上で、そこだけが別世界のファンタジックな楽しさに彩られる。
たったの3口。
ああ、楽しい。ああ、かわいい。夢のようだ。
みんなこのお土産をくれればいいのに、滅多に来ない。しかし信玄餅っていったいどこの名産品なんだろう? どこで売ってるんだろう? 買い占めたい。疲れ切ってイライラしてるあらゆる人のデスクに置いて回りたい、魔法の包み。
そんなことを思いつつ、上品で程よい甘さに惚けたような気持ちになって、楊枝にまとわりついたきな粉をすべて舐め尽くし、ミニチュア弁当の蓋を閉め、楊枝を紙包にしまい、セロファンの包みを元のように(といっても元よりずっと雑に)結んでゴミ箱へ捨ててしまえばもう、跡形もない。
包装物のごみも、きな粉一つ落ちておらず、あの憧れのお菓子と夢の時間を過ごしていたのが嘘のように、ただ無味な日常だけが横たわっている。
そして20代前半だった私は信玄餅をもらった感動も、どこの土産なのかという疑問も、すべてを忘れて来た電話を受け、メールを返し、資料を作った。次に信玄餅のことを思い出すのは、日常に疲れ、ヘトヘトになったある日の午後、誰かが信玄餅の土産を持ってくるときである。受けとった私は心の中で踊り狂う。
そんな最高のお土産なのだ、信玄餅は。
先日、生まれて初めて、信玄餅工場を見学した。石和温泉旅行の二日目の話である。
立派な機械がいろいろあったが、最後のミニチュア弁当包みは、本当に一つ一つ人の手で結ばれていた。信玄餅という小宇宙は、こうして生み出されていたのか。
感動相まって、お土産ショップで爆買いする。一番メジャーな巾着袋に入ったのはもちろん、珍しい箱入りも買って帰る。
もっと食べたい早く誰か持って来てと思っていた憧れの信玄餅を、毎日狂うように食べた。張り切って大量に買ったはいいものの、賞味期限が短いのだ。本当に美味しいものの宿命である。
あの頃と違い、デスクの上ではない。キッチンの死角で、2歳から隠れるように立ったまま食べる夢の3口。
さて、お土産ショップでは本命の信玄餅のほか、試しにくるみ坊とくりっ娘というのも買ってみた。めちゃくちゃ美味しい。信玄棒というのも絶品だった。はぁ〜もっと買えばよかったと食い意地を張る私、36歳。
生きること、旅すること、それは「最高にテンションが上がるお土産」が増えていくことなのだ。
Sweet+++ tea time
ayako
※ 信玄餅は二つの会社が作っているらしく、私が工場見学をしたりお土産を購入したのは桔梗屋の桔梗信玄餅です。元祖でありながら「信玄餅」の商標は持っていない。詳しいことは調べてみてください(興味があれば……)
こちらもどうぞ
▽石和温泉旅行記その1▽
▽石和温泉旅行記その2▽
▽石和温泉旅行記その3▽
▽石和温泉旅行記その4▽
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