「息子は小さな恋人みたいな存在」などという言説がある。
街中の公園のあらゆる地面という地面に転がる恋人。冷凍の唐揚げとコロッケしか食べない恋人。トーマスのシールを全身に貼り付けて歩いている恋人。恋人の概念が狂い始める。
二ヶ月ほど前のことである。金曜の午前中、いつもどおり児童館に行った。日常とは習慣の積み重ねであり、その繰り返しのなかに愛しい煌きがある。そうだろう。間違いない。だが帰り道、突然「ソラマチに行くしかない」と思った。押上スカイツリーのショッピングモールである。
児童館からの帰り道にも、無数のトラップがある。永遠に出てくれない小さな公園、ビー玉が埋め込まれた地面、必ず乗りたい石、町工場のフォークリフト、いくらでも数えたい番地の看板に、何度でも立ち止まりたい室外機。そのほかに工事現場のクレーン車やゴミ収集車など、突発的に二歳男子を魅了する数々のものが待ち構えている。
それらのすべてに付き合い、説得し、なんとか一歩でも家に近づくというチャレンジを、もう五日連続で行っていることになる。
「デート」のマンネリ化である。
いつも寄り道したがる魔の公園に差し掛かったとき、私は己の限界を悟った。そして厳かに提案した。
「今日はこのまま地下鉄に乗ってソラマチに行こうか」
息子は目を輝かせた。
「地下鉄!地下鉄乗るッ!」
いつもの公園を華麗にスルー、ビー玉もフォークリフトも必ず乗る石も逐一チェックしたい室外機もすべてを完全無視して駅への道を急いでいる。あまりにもスムーズである。
地下鉄に乗れる。その事実が彼をここまで駆り立てるのだ。ああ、いっそ駅が家だったらいいのに。電車に住みたい。
そんなこんなで三駅隣のショッピングモールに突然でかけた収穫がこちらである。
「今日は息子と平日ソラマチデート☆一緒にランチして、キッチン用品のお店でお買い物。かわいいカッティングボード、スパイスやお菓子の材料を買ったよ。息子にはトミカを☆」
こんな感じになるだろう。インスタグラム的人格でいえば。
だが現実には、まず昼食のために立ち寄ったフードコートで早々に壁にぶち当たった。偏食男子の食べれるものが見当たらない。瞬時にチェーンのパン屋に賭け、一つは当たるだろうと思い四種類のパンを選んだが、もちろん一つもヒットがなく、私は二歳児にジュースを飲ませつつ高速でそれらを平らげた。苦しい。
さて、買い物に移りたい。TOMIZ(富澤商店)と212 KITCHEN STORE がソラマチにおける私の二大お気に入りショップなのであるが、高速で店内を物色、目についたものを反射的に手に取りお会計。吟味している暇はない。目の前のものに食らいついてゴールへ一直線、さながら運動会のパン食い競争的買い物である。優雅だ。
息子は常に手を繋ぎ、ベビーカーも必要なく、どこまでも歩くタフで健気な二歳半である。だが油断はできない。どこにスイッチがあるかわからないキュートな爆弾(17kg)でもあるのだから(ちなみに爆発すると床中を転げ回る)
そんなキュート爆弾に、トミカショップでパーシーを買ってやり、平日の思いつきソラマチ散歩は幕を閉じた。
パーシーとは、トーマスの親友の機関車である。そう、我が家の二歳児はついに某ぱんまんに興味を示すことはなく、トーマス一直線な日々を過ごしている。
私のスパイスとまな板、そしてこのパーシーはご褒美だった。夫も仕事が忙しく、二人でなんとか過ごしたヘトヘトの秋の一週間。よく頑張ったねお互い。そんな労いの気持ちで奮発し、ふつうのトミカは300円くらいで買えるわけであるが、千円くらいする高級ラインを購入した。
なんと三両編成。
いいではないか。金曜日だし、帰ったら金曜の午後だし、つまり天国である。ハイテンションにもなる。息子は歓喜し、帰り道も帰宅後もずっとパーシーに夢中だった。なにせトーマスの車両を初めて手にしたのである。ああ、一週間おつかれさま…
「パーシーつけるッ!」
この買い物が恐怖の始まりになることを、このときの私はまだ知らない。
パーシーの車両は外れる。容赦なく、あまりにも簡単に、残酷なほど頻繁に外れる。なんなら数分に一回は外れる。
「パーシーつけるッ!」
朝から何度パーシーを連結させているのだ私は。家事の一つ一つを邪魔するだけでなく、寝かしつけのときにもパーシーは非情なまでに外れた。暗闇の中、眠気まなこでオイルタンカーを連結させながら、私は思った。
なぜふつうのトミカを買わなかった?
まさにである。
そんなこんなの平日冒険日記。
「今日は息子とふたりで公園デート」などという表現があるが、私は間違っても使えない。デートの概念が狂い始めるからね。
Sweet+++ tea time
ayako
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