愛を伝える。どのくらい好きかを伝える。
それはとてもシンプルでいて、いつだって難しい問題だ。
「愛してると言ってくれ」
毎晩、夫と一話ずつ見ている。20年以上前のドラマだ。ちょっと前に地上波で再放送されて話題になった、トヨエツの代表作。
うっとりしたりハラハラしたり、見ている間もとにかく忙しい私である。
言うまでもないがドラマと現実は違う。最大の特質がこの二つであろう。
1. やたら遭遇する
2. やたらすれ違い、やたら走る
主要人物たちは異常にバッタリ会っている。コンビニで公園で、行きつけのバーで。「あ、あなたあのときの…」みたいなことが日常茶飯事。
だが現実は本気で遭遇しない。私の友達など社宅ですぐ隣に住んでいた同期と二年間一度も顔を合わせることがなかったという。隣ですらそうなのだ。「同じ町」に住んでいるくらいで運命の相手とバッタリバタバタ遭遇できるならこの世に合コンは存在しないだろう。だが遭遇しないとドラマは展開しない。
そして2のすれ違い。これは昔のドラマに顕著である。「愛してると言ってくれ」なんてもうすれ違いの嵐である。携帯電話がない。メールがない。公衆電話しかない。しかもトヨエツは耳の聞こえない役であり電話もできない。
FAXは10万円以上する高級機器。それを常盤貴子扮するヒロインが頑張ってバイトして買い、なんとかコミュニケーションを取ろうとする。だが片方が外出すればもう連絡は取れない。
相手の家に会いに行ったら、向こうも会いに来ていて、互いの家の前で待ちぼうけ。「今どこ?」がLINEなりDMで送れたら瞬時に解決する話だ。いやそもそも、「今向かってま〜す」「待ってま〜す」とスタンプを送りあうだけの現代である。
円滑にやりとりができると、人は走らない。空港に発つ恋人とか、家を飛び出した恋人を必死で追いかけられるのも、度重なるすれ違いの賜物といえる。思えば最近走ったことがあるだろうか?ゴミ出しに間に合いそうもないときと、公園で二歳児を追いかけているときだけである。
細くて可憐な常盤貴子が走り、ダボダボのシャツにサンダルという長身細身のトヨエツが全力疾走するからドラマは盛り上がる(そして走るトヨエツのかっこよさは神がかかっている)
現代は、"簡単にはすれ違えない" 、それゆえに人は走る必要もない、誠に便利な世の中なのだ。
話は突然変わるようであるが、夫は無類のラーメン好きである。コロナであろうと猛暑であろうと油ギトギトの麺類は常に彼のそばにある。
何度か宅麺の話はしているが、ラーメン二郎の持ち帰りにも手を出している。近隣の店舗が、それぞれに持ち帰りセットを販売しているのだが、密を避けるためゲリラ販売が基本だという。販売時刻は直前に知らされ、勝手に並んだり近くで待っているのもダメだとか。
しかしネットには情報が出回るらしく、あの店舗はだいたい夕方○時頃らしい、明日行ってみようかな、などと夫は常にソワソワしている。
「亀戸の二郎、明日持ち帰り販売するらしい…」
わざわざ小声で、前日から何度も伝えてくる。こちらが一切必要としていない情報を、である。
かくして夫は綿密な情報収集の結果、販売時刻を予想して、わざわざバスに乗り列に並び、麺や汁が入ったビニール袋を携えまたバスに乗って戻って来る。それから三つの鍋に湯を沸かし、汗をかきながら懸命に麺を茹でたり肉を湯煎したりしている。
あるときは湯煎中にラーメンのスープを入れた袋が破れ、泣き叫ばんばかりに絶望していた。自分に置き換えればわかる。苦労して探したヴィンテージ食器を、手に入れてすぐに割ってしまったというところだろう。それはもう純度120%の絶望である。
だが湯気立ち込めるリビング、漏れたスープ、冗談みたいな量の豚肉、汗だくで床に崩れ落ちる夫。すべてを遠目に眺めながら、私は哀れに思いつつも笑いをこらえるのに必死だった。
いったい何が彼をそこまで駆り立てているのか。
『すぐやる!』という自己啓発本が未読のまま三年くらい本棚に入っているが、こと麺類に関しては異常な行動力をみせてくる。
そんな夫が先日また汗だくで帰ってきた。
「大変なことがあったんだ…」
平和なる休日、夫はラーメン二郎の持ち帰りを入手するため亀戸に向かっていた。二時半頃に販売開始だと目をつけ、待ち時間に読むための分厚い専門書(数年間本棚と一体化していた)までリュックに詰め、上機嫌でバスに揺られていた。高まる鼓動を抑えつつラーメン二郎亀戸店のツイッターを再度覗いてみると「2時から販売します!」と直前の告知があった。
このままじゃ、間に合わない…
バスの中、気弱な30代大男に衝撃が走る。想定より早い販売時刻に震えが止まらない。このままのんびりバスに乗って限定数の持ち帰り二郎にありつけなかったら絶望だ。
バスを降りてタクシーで向かおう。
夫は乗ったばかりのバスを降り、タクシーを拾うつもりで大通りを走り始めた。全力疾走しながらタクシーを探す。だがおかしい。タクシーなんて秒で見つかる東京の大通り、この日に限って一台も通らない。なぜだ。だがとにかく見つかるまでは走り続けるしかないッ!
だいたいお察しのとおり、この日夫はとうとうタクシーに出会うことなく、夏日の猛暑、店の前までひたすら走り続けたという。冷房の効いたバスにのんびり揺られていればよかったわけであるが、それは後からわかること。衝動と情熱が人を走らせるのだ。
夫曰く、ダボダボのTシャツにサンダルで全力疾走していた自分はさながらトヨエツだったとのことである。胸元がはだけた白シャツではなく、ただ首がよれただけのTシャツ。愛する女性のためではなく、油ギトギトのラーメンのために走るトヨエツ。大きなリュックに重い参考書まで詰めたトヨエツ。だいぶ分厚いトヨエツ。
世の中にはいろんなトヨエツがいる。
壁に片手をおいて肩で息をする夫の手には、無事にニンニク臭たっぷりの豚肉やスープが入ったポリ袋。よかった、ハッピーエンドだね。情報が手に入れにくければ、日常は一気にドラマチックになり、人は全力疾走する。何か違う気がしてたまらないが。
話は突然変わるようであるが、冷風機という製品があるのをご存知だろうか?
倉庫とかエアコンの使えない場所で、冷気を送り出してくれる機械である。え、万能じゃん…と思うが、その代わりに機械のすぐ後ろから熱風が出る。部屋全体を涼しくするのではなく、前にいる人だけに冷気を送る装置だという。
「そんなものがあるんだね」
冷房のない部屋をどうするか、夫と相談しているときに話題に上った。
それにしても面白い。涼しい風を出すには、その裏で熱風を出さなければいけない。考えてみればエアコンだって同じだ。室外機をベランダに置くことで熱風を外に逃がしているだけなのだから、冷風と熱風は常にセット。悲しいくらいに単純なるトレードオフ。
「物理的にそういうものなのかな」
「エネルギー保存の法則というのがあるからね」
夫はしたり顔で言った。そういえばそんなものもあったな。私は全科目の中で体育の次に物理が苦手である。
「やっぱり何かを差し出すには、何かを失わなければならないのかな」
「そういうことだよ、エネルギー的にはね」
物理が一番得意だったという物知り顔の夫に、国語が一番得意だった私が質問する。
「じゃあ私に愛を注いでいるかわりに、何か失ってるってこと?」
夫は少し黙ってから、こういった。
「そういうことになるね。だから僕は二郎を食べてるんだ」
夫の愛、ラーメンが源だった。
愛を伝える。どのくらい好きかを伝える。
それはとてもシンプルでいて、いつだって難しい問題だ。
油ギトギトの一食2000カロリー超え。相当ハイカロリーな愛情を、私はどうやら注がれてきたようである。
愛されている、そういう理解でいいでしょうか、いいですよね?
ラーメンで蓄えたエネルギー、単に脂肪として蓄積している気がしてならないよね。
Sweet+++ tea time
ayako
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