夫は自らを生粋の「シティーボーイ」だと名乗っている。
シティーボーイといえばメンズ雑誌「POPEYE」を連想するが、そこに出てくるハイセンスなお洒落ボーイたちと夫との間には、同じ人類に属していることを除けばおよそ共通点がない。
なにせ、ここ3日連続で同じ犬のTシャツを着ている人である(洗濯機に入れてほしい)
では生粋の「シティーボーイ」たる所以は何なのかといえば、それは東京生まれ東京育ちということらしい。
「ayakoさんは単なる江戸っ子だよ」
大分の別府で生まれ、千葉県で育ち、ここ数年東京下町に住んでいる私はことあるごとに田舎者扱いである。夫は住所的に見れば、生まれも育ちも品川区。東京23区の輝ける区出身なのである。
4月の初め、夫、友達(男)、私の三人でお花見をした。夜桜が満開の浜町公園である。私はふと、この男友達も生粋の「シティーボーイ」ということになるなと思った。なにせ渋谷区生まれの渋谷区育ち。
桜の下、缶ビール片手に銀だこのパーティーパック(24個)を瞬く間に平らげた品川区と渋谷区と私は、お洒落なワインバー・レストランへ移動して飲み直すことにした。
日本橋浜町の静かな通りの裏路地、ひっそりと佇む上品で瀟洒な空間。
こんなお店にフラッと入ったりするなんて、すっかり大人になったなぁ。
私が一瞬の勘違いをしたことも、ここに記しておこう。
ワインがメインのお店で、オーナーがボトルごと幾つか持ってきて説明してくれる。見たことのない外国の白ワインボトルが5、6本ずらりと並べられた。オーナーの物腰は柔らかく、価格はグラスワイン一杯が900〜1500円くらいと、サービスや雰囲気からすれば決して高くはない。
「こちらはボディが軽めで、…イタリアの○○地方の葡萄を…価格は1200円ですね。すっきりとした果実の風味が…こちらは○○の何年もので、かなりボディがしっかりしているんですが…」
あ、これ、外国語のリスニングテスト。
私は即座に思った。
日本語なのに、全然わからない。ボディってなんだ。
渋谷区と品川区、生粋の「東京シティーボーイ」たちは神妙な顔で頷いている。私は現在お酒が飲めないので、ここから注文するのは男二人である。
説明はすべて終わった。品川区(夫)は「二番目のビアンコで」と答える。「じゃあ、僕もそれで」と渋谷区も続く。
お店の人が会釈をして去って行った後、三人の間に不思議な沈黙が訪れた。
渋谷区の男がニヤニヤをこらえきれずに爆笑し始める。
「ボディ」
「ボディってなんだボディって」
「俺もう途中から笑いが止まらなかったわ」
「私も初めてきいた…!」
シティーボーイ二名と江戸っ子一名は、さっそく検索して「ボディ」の意味を調べる。ワインの味わい(感触)を表す用語らしい。
「ねえねえ、なんで二番目のにしたの?」私は夫に尋ねた。
「まあ、一番安いのを選ぶのもちょっと恥ずかしいし、二番目って無難だからね」
「そうそう、俺もそう思った」
順番だった。
もはや説明の内容は一切関係がなかった。
さて、第二ラウンドである。次は赤ワインをオーダーした。お店の方はまたも美しい外国のワインボトルを5、6本携えてやってきた。
「まずこちら、○○と言いまして、フランスの○○地方で…かなり渋みの効いた…950円となります。次のこちらですが…」
ほとんど意味がわからないのに、異常に興奮して耳を澄ます三名。ワインのことを何一つ知らないため、今ここで発される言葉のみをヒントに選ばなければならない。まさに一回勝負のリスニングテスト、不思議な闘志に燃えている。
すべての説明が終わると、
「いちばん最後ので」
「僕はこっちで」
品川区も渋谷区も、今度は自信満々で異なるものを選んだ。
お店の人が戻っていくと、テスト後に答え合わせをする中学生のごとく盛り上がる。
「ねえねえ、二人とも何が決め手だったの?」
品川区(夫)は得意げに答えた。
「なんか『複雑な味』って言ってたじゃん、変わってるって。それが気になった。あといちばん最後のだったけど今回はそこまで高くなかったからね」
確かに先ほどより予算が下がり950円〜1300円のワインで案内された。
「俺はねえ、『うまみ』って言葉に惹かれたわ」と渋谷区。
「わかる、『うまみ』も気になった」
「あと真ん中だったからね」
これが東京シティーボーイたちのクオリティーである。
「事前知識がゼロだからさ、もう純粋にお店の人の単語に引きずられたよね」
「それにしても今回は『ボディ』が一回も出てこなかったな…」
我々が初出単語「ボディ」に興奮しているのを察し、お店の人が別の言葉で言い換えて説明してくれたのであろう。だってwikipediaによれば、普通はむしろ赤ワインの方でよく使われる用語らしいから。
時刻は夜の11時過ぎ。女性客一名が入ってきて、慣れた感じでカウンターに腰掛けた。
「あれ、今日はひとり?」
我々に「ボディ」の配慮をしてくれたオーナーが、気さくな微笑みを向ける。
「ううん、宮沢さんも後から来る。あ、エリちゃんはもう来た?」
「今日はまだだね」
女性客が席についてしばらくすると、「宮沢さん」と思われる男性客もやってきて隣に腰掛けた。絵になる。30代、どちらも気合が入りすぎずしかし洗練された都会的な身なりをしていた。会話もワイン選びも慣れていて小洒落ている。
ああ、ここにドラマの世界がある…!
我々は目を見張った。
「きっと常連さんだね」
「こんな店に通うってどういう人たちなんだろう」
同じく30代なのに、こちらはテスト後の中学生である。ワインについて何も知らず、つい先ほどまで銀だこを24個食べていた。その傍らで、こんなドラマみたいな世界が繰り広げられているとは…
帰り道、夫と話した。
「あの人たちは絶対『ボディ』を知ってるよね」
「僕たちもワインとかいずれわかる日がくるのかな…」
10年経つと40歳。さらに10年で50歳。自分たちがこんなおしゃれワインバーを行きつけにしている姿も、ワインの味に明るくなってオーダーを楽しんでいる姿も、まったく想像がつかないのであった。
ドラマみたいなオシャレ東京男女はいかにして生まれるのか。
とりあえず、住所だけでは「シティーボーイ」になれないことは明らかである。
Sweet+++ tea time
ayako
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