日曜日、9時15分からの映画を観ようと思って東京下町を歩いていたら、懐かしい匂いがした。
冬の朝の空気。
ピンと張りつめていて、コインランドリーの前を通ると石鹸のいい香りが鼻先をかすめる。
このなんとも言葉では表しにくい空気感は、私に北京の朝を思い出させた。18歳のころ、初めて外国に行ったのは、北京への1ヶ月の短期留学だった。
北京語言大学の広大なキャンパスを、重い辞書と教科書をカバンに入れて、ふかふかのダウンを着て歩いていた。冬の北京は本気で寒く、あちこちに小さな売店があって、肉まん的なものや点心的なものが、白い湯気を立てて並んでいた。
カバンの中の水筒には熱いお茶が入っていて(大学の先生もみんな水筒を持ってくる)、ときどき朝ごはんに肉まん的なものを買って教室で食べたっけ。
冬の朝の冷たい空気を吸い込んだら、手品師の出すフラッグのように、10年以上前の小さな記憶が連なって思い出された。
空港まで母が送りに来てくれたこと、ピンクベージュのあったかいダウンや赤いスーツケースを買ってくれたこと、北京の夜市のまやかし感、夜行列車に乗って西安にも行ったこと、中国語を熱心に勉強した日々、そのあとロシア語やスペイン語を夢中で学んでいた日々のこと。
北京にいた一ヶ月間の写真は全部どこかに行ってしまったし、そのとき出会った人とも連絡を取っていない。
あれから12年が経ち、私は中国語をほぼ忘れた。いちばん熱心に勉強したロシア語も、すっかり遠ざかってしまった。それに何より、忘れたことでまったく困ることがないのである。
話は変わるが、その日は映画を観たあとに新しい食器を買った。
アフターヌーンティーリビングで欲しい食器を見つけてから、しばらくずっと悩んでいた。お茶をしたり他の店を歩いたりしながらも、ずっと物欲と戦っていた。いつものことである。
「モノはなくなるって知ってるでしょ」
「形のないものが大事だよ」
「お皿は必ず割れるんだから」
「今ある食器はどうするわけ」
あ〜正しい。死ぬほど正しい。心の中の優等生ボイスは憎たらしいほどに正論で訴えてくるのである。
東日本大震災で、実家の食器棚は派手に倒れてきたし、自分の部屋に飾っていた雑貨も本も雪崩のように落ちて割れて、テレビを付ければ家ごと流される景色が延々と映し出された。「ああ」と思った。それまで大事だと思っていたモノたちが、遠くに行ってしまった、と。
それからしばらく、私はモノを買わなくなった。買う気が起こらなかったし、割れ物のお皿を集めるなんてもってのほかだと思っていた。
この間までハマっていた韓国のドラマで、ヒロインの男が、三年ぶりに再会してよりを戻した昔からの彼女に、結局別れを告げるシーンがある。
最初こそ再会の喜びと思い出で二人はやっていけたけど、三年という空白の時はたしかに流れ、そのあいだに出会った新しい女性の方に心は傾いていたからだ。
振られた昔からの彼女はこんな感じのことを言う。
「今は新しく出会った女性のことが新鮮に思えるかもしれない。でも同じことなのよ。時間が経てば、すべて色褪せてしまう、今の私たちみたいに。それでも行くの?」
すると男はこういうのだ。
「死ぬとわかっていても、生きるだろう」
「なにカッコつけてんだサイテー!」と思うこともできるが、私にはこの言葉が、なんだかすごく腑に落ちてしまった。
翌朝、新しいお皿に美味しい朝食を作って食べた。
いつかは割れてしまうかもしれないけれど、この日の朝食はこんなにも幸福に満ちているのだ。
中国語もロシア語も今の生活には必要がないし、でも冬の匂いに反応して思い出された記憶たちは、どれもとびきり輝いてもいた。
死ぬとわかっていても生きるし、忘れるとしても夢中になるし、いつか割れちゃうとわかっていても手に取るのだ。
その時々で何かを選び、掴み、前に進む。ちょっぴり悲しいけど、私たちはそういうふうにして生きるんだと知ることは、どこか勇気が出る気もする。
「新しい食器を買ったことへの壮大なる言い訳」というわけじゃないんだけどね。
Sweet+++ tea time
ayako
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