運動神経というものがまったくない。
小学生の頃、どのタイミングで大縄跳びに入ったらいいのかわからず、恐怖の中トンチンカンなところで輪に飛び込み、縄に当たったときの激痛は忘れられない。皆から笑われる恥ずかしさも。
大人になっても大変なことはいろいろあるけど、「大縄跳びやらなくていいんだもんなぁ」と思うだけでみるみる幸福感が押し寄せるのだからすごい。大人って最高。体育の授業がないって至福。
話は突然変わるが、ニンテンドースイッチというゲームがあるらしい。ここ最近の夫はマリオオデッセイのCMが流れるたびに恍惚とした表情で見入り、特に興味のない私にもYouTubeでCMを見せてくる。Amazonのページをしょっちゅう眺めては唸っている。
どうやらニンテンドースイッチ本体はとても人気で入手困難なものらしい。Amazonで買えるが、定価より1万円高いという。
夫は何週間も悩み続けていた。ニンテンドースイッチのマリオオデッセイセット、約5万円也。物欲のない彼がここまで悶々としているのはとても珍しいことである。
しかし私は知っている。数ヶ月前に届いたドラクエの新作が完全放置されていることを。届いたときこそ大喜びであったが、数十分触った後、夫はゲーム機をお腹の上にのせてスヤスヤと眠りだしたのである。しばらくは外出時にゲーム機を持っていたが、数日でドラクエは生活から完全に姿を消したのであった。
「前のドラクエってやつはどうなったの?」
「・・・・・」
スパイシーな一言を投げかけてみた。
予定調和の数週間を経て、果たしてニンテンドースイッチのマリオオデッセイセットは我が家にやってきた。雨の降りしきる休日、夫は大喜びでゲームをセットしていく。
「ayakoさん、これがニンテンドースイッチだよッ!」
スパイシーな言葉を投げかけたりクールを決め込んでいた私も興味津々。なんといっても私、おんな姉妹の家に育ち、ゲームを買ったこともやったこともない。何にも知らないのである。
夫はいよいよコントローラーを持って何か操作を始めた。こうなると居てもたってもいられない。
「わたしもやりたい」
「え…ayakoさんもやるの?」
「私もマリオ動かしたい」
CMにも1mmも興味を示さなかった私であるが、もはや矢も盾もたまらずコントローラーを握りたい。二人でプレイする方法があったので、「マリオ」を動かす役と、「マリオの帽子」を動かす役を、二人交互でやることになった。
さて、結果である。
私がマリオを動かすとすぐに死んでしまう。
前に進む動き、上にジャンプする動き、この二つを組み合わせることができない。私のマリオは不可思議な動きを繰り返した後、踏んじゃいけないものを踏んだり、なんらかのダメージを受けたり、崖から落ちてすぐに死んでしまう。
本当は帽子をクルクル振り回したりいろんな動きができるのだが、そんな余裕は一切ない。手に大量の汗をかき、顔を真っ赤にしてコントローラーを持っている私に、
「そこ。そこでジャンプして!」
「ああッ!なにやってるのちょっと」
「はやく、速く進んでッ!」
夫はもどかしそうに叱咤するが、私のマリオはしどろもどろの挙動不審。しかも私が方向音痴なので、マリオも方向音痴なのである。羊を探して柵の中に入れに行くというシーンで、羊を追いかけているうちに自分がどこにいるのか全くわからなくなる。マリオ、羊と完全に迷子。
「信じられないよ…」
夫はあまりの動きの悪さに震えていた。
「ちょっともう貸してッ!」
コントローラーを奪おうとする夫に、しかし私は譲らない。せっかく手にしたマリオのターンである。退屈な帽子役などやってられるだろうか。
人生には妥協が必要という。
ときに何かをスムーズに進めるために、諦めたり譲ったりしなければならないものもある。だがそれを受け入れることもまた、大人の余裕といえよう。
現在、私は帽子役に徹している。
夫のマリオはものすごく運動神経がいい。どんどん進み、華やかに飛び、でんぐり返しをしたり帽子を振り回したりして、軽快なのである。そして死なない。変なものを踏んだり、無意味に体当たりしたりしない。
私はそんな幸せそうなマリオを見守りながら、帽子を動かすためのコントローラーを握りしめている。しかしマリオは自分で帽子を飛ばすこともできるので、この役はたいして意味がない。気まぐれに帽子を浮遊させつつ、ただマリオについていくのみである。
大人になっても、思わぬところに「大縄跳び」は現れるのだからたまらない。
果たして続きがあるかは謎である。
Sweet+++ tea time
ayako
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