太宰治は「恥の多い生涯」を送ってきたらしいが、私はといえば今のところ「暇の多い生涯」である。
ぼーっとする時間、何もしない時間、何も予定がない時間。それが大事なんだと母に言われて育ってきた。
夏休み、妹とふたりまったくやることがなく、押入れの上の段にすわり足をぶらぶらさせていた光景を今でも覚えている。
「やることがないなぁ〜」
「やることがないなぁ〜」
退屈の極みにあった姉妹であった。
小学生の私は、集めておいたお菓子の箱を切り抜いてはひたすらドールハウスや謎の「商品」を作り続けていた。(あとで値札をつけてお金も作り母に買いに来てもらうという、自作自演ショップである)
これだけ暇でありながら、夏休みの宿題は毎年8月31日に泣きながらやっていた。
中学二年生のおわりまで塾にも通わず、夏期講習というようなものも私には存在しなかった。夏休み、ぼーっとする時間だけは異常にあった。
中学高校と部活にも入らず、もちろん大学もサークルに入らなかった。
会社も「できるだけ早く帰れそう」というのを指針に選んだ。狙いのとおり、私は大学の同級生たちと会うと、常に暇な人ランキング1位であった(当社調べ)
ちなみに皆はエリートである。
「暇な時間」は多い人生であった気がするが、それによって何か成果があったかというと謎であった。
話は突然変わるようであるが、先だって、旅館のサウナに入っていた。
こんな感じのコースである。
サウナ5分▶︎水風呂▶︎サウナ5分▶︎水風呂▶︎サウナ10分▶︎水風呂▶︎サウナ10分
5+5+10+10=30、というわけで合計30分間サウナに入っていたという計算になる。
痩せたとか肌が見違えるようにツルツルになったなどの類のデトックス効果は皆無だったが、それとは別の、ものすごい成果があったのだ。
そう・・・
サウナの30分間で、5つもブログ記事を思いついてしまった。
サウナでこんな成果に恵まれたのは初めてである。普段は何一つ思い浮かばずただ汗をかく肉塊と化している。(そのうえ痩せない)
スポーツジムでもマシーンの上を走ったりバイクを漕いだりしてるわけであるが、やはり汗をかく肉塊。まったく何かが思い浮かんだ試しがない。(そのうえ痩せない)
いったい何が違うのか?
私は考えに考え、とうとう、キーポイントになる事実を発見した。
そのサウナにはテレビがなかったのだ。
テレビも無ければ、他の客もいない。完全に密閉された小部屋でひとりきりであった。さらに言えば時計すらなかった。じゃあなぜ時間がわかったのか?それはたった一つ、5分単位の砂時計が置かれていたからである。(だから5の倍数で出たり入ったりしていたのだ)
普段はサウナに入っても漫然とテレビを見たり、隣のおばさまとお喋りをしたりして過ごしてしまう。スポーツジムでも同様である。
「何もやることがない」ということの真の威力を目の当たりにしたのであった。
これは、サウナから出た私が部屋に戻って大慌てでアイディアを書き写した紙である。
太宰治もびっくりのクリエイティビティーに富んだ筆跡。昔からノートに書いた文字があとで読めないということで苦悩してきた私の歴史がにじみ出ていますね。
何もしない30分に生み出された5つの珠玉のアイディア。まさに「ぼーっとする時間にクリエイティビティは発揮される」のだと証明された瞬間であった。
やはり母の教育方針は間違っていなかったんですね。
このブログがいかに創造性に富んでいるかというのは読者の皆さんなら身にしみて感じておられると思うんですが、最後に、サウナ時間に思いついた話5つを紹介しておきましょう。
下手なイラストの話に夫のウエスト事情、サッカーと野球の見分けすらついてない話、貯金がないことを大通りで披露した話…
まあ、その「無駄」が大事ということに、しておきましょう…
Sweet+++ tea time
ayako
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