誰かの小さな記憶に残るということ

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夜、今日はいい一日だったかなあと振り返る。

手帳を開いてやることリストに線を引いたりする。全然ダメだったなと落ち込む日があれば、達成感にあふれてる日もある。でも、「いい一日」は決して「完璧な一日」という意味ではないんだと思う。

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「先生なんかイライラしてるなぁ…」

子ども心にそう思った。

小学2年生のころ、行事の練習で、隣のクラスの女の先生に理不尽に叱られたことがあった。詳しいことは覚えてないんだけど、う〜ん、なんというか当たられた気がした。

でも7歳の私にとって先生というのは超完璧な大人である。きっと私が悪かったんだろうなぁと思った。家に帰ってご飯を食べ、お風呂に入って眠り、翌朝また学校に行った。

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行事の練習の時間になると、件の隣のクラスの先生が近づいて来て言った。

「昨日は先生ちょっとイライラしてて、当たってしまってごめんね」

私はびっくりした。オドオドしているうちにまた先生は走って行った。

ただそれだけの話である。

*・*・*

 

小学校2年生のころの担任の先生も行事も友達のことも何もかも覚えていない私であるが、この一件だけはずっと記憶に残っている。

大人でも、イライラすることってあるんだなぁ。先生だからって完璧ってわけじゃないんだなぁ。大人でも、ちゃんと子どもに謝ってくれるんだなぁ。

7歳の私の記憶にくっきりと一つ、残る思い出になった。

*・*・*

 

圧倒的大人に見えた先生だって一人の女性で、子育てと仕事でめちゃくちゃ忙しい日々だったのかもしれない。自分が先生だったら、イライラしてたことも忘れてその日の雑事に追われているかも。それでなくても小学校の先生は多忙だし。

「いい先生」であるというのはつくづく、「完璧な先生」であるという意味ではないんだなぁ。完璧じゃないから記憶に残るし、人間らしいから今日の私を優しい気持ちにしてくれる。

*・*・*

 

今日は、いい一日だったかな?

それはきっと手帳の中の充実度とかTODOリストを何個消化したかとは関係がない。

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完璧に過ごせなくても、誰かの小さな記憶に残るような、生き方ができてたらいいなと思う土曜日の夜。

 

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ほんとだね。

私の日記も、誰かの小さな記憶に残ったら、嬉しいな。

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Sweet+++ tea time
ayako

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