他人の前髪はどうでもいいのに、自分の前髪は24時間気になる。
これは真理である。
特に思春期は、「前髪を切りすぎる=絶望」という方程式すら成り立っていたように思う。小学生の頃は平気で鼻水を垂らしていたような男の子も途端に髪をワックスで立て、隙あらば鏡を見て直していた。
何がどうちがうのか、側から見ればまったく分からないのであるが。
私は男子中学生ではないが(だったら大変だ)、それでも前髪カットに失敗するとしばらく憂鬱である。
「ちょっと前髪切りすぎちゃったんだよ〜」
先日、妹に会ったときに言ったら、
「ゴメンめちゃくちゃどうでもいい。てか気づかなかったわ」
本当に心の底から興味なさそうに言われた。氷のような声だった。そのあと、妹はワントーン声を高くして言った。
「ねえ、今日わたしの肌めちゃくちゃツルツルでしょ?実は顔洗ったときにコツがあってさ〜」
全然気づかなかったことは言うまでもない。
つくづく、他人の外見には興味がないものである。
そんな私も自分の肌のこととなれば、そのコンディションについて毎朝一喜一憂している。
「や〜ん、今日肌の調子がいい!」歓喜の舞を踊ったかと思えば、翌朝は「すごい荒れてる…」と絶望の淵に立ったりしている。
鏡の前でツルツルだのザラザラだのあーでもないこーでもないと騒ぎ、ニキビができると「どうしよう!?どうしよう!?赤ニキビができてる!?」と大騒ぎ。
お神輿でも担ぎ出しそうな勢いで洗面台の前を右往左往している。
そんな私を、ソファにのんびりと横たわった夫は、呆れ顔で見ている。
「ayakoさんって、大変だよねぇ。そうやって、ニキビの数だけ騒いできたわけでしょう・・・」
そのとおりである。
私の肌にできていたら絶叫するような巨大なおできを頬に付けたまま、夫はのほほんとしている。
自分の外見にも興味がなさそうだし、悩みもなさそう。さすがは小学校の文集で「会うとホッとする人」1位に輝いた人物である。
だが、そんな夫にも気にしていることがあったらしい。
このブログに自分が登場していると歓喜し、一緒にでかけたのに登場していないとスネ夫になっている彼であるが、先日、とある記事を読んで大騒ぎしていた。
「ちょっと、ayakoさんッ!」
この記事である。
問題箇所を抜粋しよう。
夫はデートで見ていても、凄まじく食べていた。お肉好きだし体も大きい。180cm以上、92キロ以上ある。ちなみに、身長に対して体重が重すぎることは今は問題としないこととしよう(大問題だが)
「ぼくは92キロもないよッ!!!」
iPhone片手に頭を抱えたかと思えば、リビングを右往左往。こちらもお神輿を担ぎだしそうな騒ぎである。
「あ、そうなの?」
夫は当然!という顔をして言った。
「90キロ以上に直しておいてよね」
92キロと90キロ・・・
私にとっては(おそらく読者にとっても)超絶どうでもいい2キロの差は、夫にとっての「前髪」であり「ニキビ」なのだろう。
「わかったわかった、90キロね」
「いや、89キロでッ!」
「あ、89キロになったんだ?」
「まだだけど…」
それは単なるサバ読みである。
私は言った。
「別に何キロでもいいじゃん。実在の人物かもわからないんだからさ」
「そんなことないよ。読者の人にデブだと思われたらたまらないよッ!とにかく90キロに直しておいてね」
「はいはい」
やたら読者からの評価を気にする夫であった。
翌日、帰宅するやいなや、夫はまた絶叫していた。
「ちょっとッ!まだ92キロのままになってるッ!」
騒ぐ夫を横目に見ながら、私は思った。やっぱり「前髪」って、24時間気になるものなんだなぁ。
(ちなみに今も直していない)
嘘だろう。
何はともあれ、大人になっても、どんな人にも、「前髪」とか「ニキビ」があるって、妙にかわいいものだよね。
Sweet+++ tea time
ayako
次回予告
明日は久しぶりの清澄白河カフェ日記を書く予定です!(今日は予告と全然違うことを書いてしまったが…)
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