「ケータイパンチ」で過去の想い出に穴を開けた日

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「ケータイパンチ」というものがあるのを、皆さんご存知だろうか?(写真はドーナッツだけど)

この間ドコモショップに行って、その昔使っていたガラケーや5年前のiphoneやらを処分した。

ガラケーは、その「ケータイパンチ」なる器具で穴を開けてもらうのだが、それがまあ、なんとも痛快であった!

*・*・*

過去の記憶や人の気持ち、個人情報や誰かとのやりとり。そういうものを持っていると、どうにも気が重い。

たとえ目に見えないデータとしてであっても、である。

なにか、軽やかに生きるために、そういうものはちゃんと捨てておいたほうがいいように思うのだ。

楽しかった記憶も悲しかった記憶も、なんであれどっしりと重い過去のものは、今の自分を引っ張ってしまう気がするから。

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だから、実をいうと人からもらった手紙も、わりとすぐに処分している。(写真は私のカードコレクションです)

もちろん受け取ったときはすごく嬉しくて、大事に目を通すし、写真におさめてしばらくの間はiphoneで見られるようにする。

だけど、誰かの気持ちがぎゅっと込もったものをいつまでも持っているというのもまた、今の自分が自由に飛ぶためには、ときに重石になってしまうのかもしれない。

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手帳もちょっとずつ処分する。取っておいたら面白いだろうなぁとも思うけれど、何年も前の自分が悩んだり歓喜したりしながら手書きでいろいろ記したものが、何冊も本棚に並んでいるというのは、やっぱりちょっとユウウツな気持ちになるのである。ユウウツは言いすぎかなぁ。少なくとも晴れやかではない。

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そういえばこの間はiphone の電話帳を間違ってまるっと削除してしまった。そのときも、妙にすっきりしたのだ。

心配しなくても、ご縁は、つながるときにはちゃんとつながるものなのだ、と信じたい。

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話を戻そう。

ドコモショップで、私はじっと見ていた。昔のガラケーが、ケータイパンチでつぶされてゆくのを。

そこには、今はもう誰もつけないけれど、手垢のついた懐かしい"ストラップ”たちがぶら下がっていた。私がそのガラケーを使っていたのは会社員の頃で、後半はたしかiphoneと二台持ちしていた。

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イニシャルのストラップは、会社の先輩からもらったものだったし、マトリョーシカのストラップはロシアで買ってきたものだった。持ち物にも、当時の人間関係やそのとき自分の興味が、さりげなく映し出されている。ずいぶんと時間が流れたなぁと思う。

その携帯電話で、当時の楽しさと同じくらい息苦しさもある人間関係の輪の中、20代前半の私は毎日いろんなメールを交わした。

たくさんかわいい「デコメール」を作っていたし、仕事でつらいことがあって泣きながら母に電話したこともあったし、女友達と三人で真夜中の渋谷で遊んだ日も、ひとりで日比谷公園でお弁当を食べていた日も、友達と湘南の海にでかけたときも、その携帯電話はいつも一緒にいたのだ。

そんな愛しい想い出のつまったものが、ズシズシとパンチで壊されていく。

それはもう、本当に爽快!

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寂しさよりも、爽やかさが勝ります。

すべての記号を失って、それは電源もつかない、何も記憶しない、ただの金属のガラクタに戻っていったのでした。

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話は突然変わるようだけれど、私は「同窓会」的なものに滅多に行かない。

それは「行きたくない」からではなくて、年末は忙しかったりして、なんとなく行きそびれてしまうのだ。私のお仕事は12月に繁忙期を迎えるということもある。本当は、昔の友達たちにも会ってみたいなぁと思ったりもする。

でも毎年、なんだかんだ行けなかったりして、私は気づく。

それは私の中で同窓会の優先順位が低いからなのだと。

私は同窓会よりも、今の仕事や生活の方をどうやら優先してしまっている。昔の友だちも過去を懐かしむことも大事だけれど、それ以上に今の日々と今の家族や友だちに心が向いている。だから、行けない年が多いんじゃないかなぁと思うのです。

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ケータイパンチから、いろんな話をしちゃったけれど。 

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もし、暮らしを、部屋を、気持ちをすっきりさせたいと思ったら、今に集中するのが一番かもしれない。

部屋は今必要なものをしまう場所。心には、今大事なものだけを。

移り変わるものごとに、あらがわないでいると、気持ちは案外さわやかだ。

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これからもっと歳をとっても、そんなふうに思える私でいたらいいなぁ。

今日も、窓をあけて風をとおそう。

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Sweet+++ tea time
ayako

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