実家に帰ったとき、母と近所のカフェでお茶をしたんですね。ケーキかパイだったかを食べつつ、他愛ない話をして。
会話しながら、母が、私の腕に落ちたパイ生地の小さなカケラみたいなのを、手で取ってくれたんですよ。でも取れなくて、二回ほどつまみとろうとしてくれたんですよ。
でも取れなくって。
なぜならそれ、パイ生地のカケラじゃなくて、ホクロなんですよね。
かれこれ20年以上私の腕に住み着いているホクロなんですよ。
気づいた母がお腹抱えて笑ったことは、いうまでもない。
後になってに思ったこと。
「あれは、LINEじゃあ無理な面白い体験だったな・・・」
「贅沢」は「必要」の対義語である
話が変わるけど、「贅沢」って多くの場合、生活に直接「必要ないもの」なんですよね。
「食べ物」の中ならフルーツとかスイーツ、食欲を満たす以上の何かがある食事。アクセサリーも洋服も娯楽も、生活の「必要」性から遠くなればなるほど、「贅沢」って感じがする。
それで、最近、というか近年?、また「贅沢」の仲間入りをしたものに気づいた。
誰かと「会う」ことが「贅沢」な時代
今って、直接「会う」ことは、どんどん「必要ないもの」になってますよね。
昔なら直接「会う」必要があった打ち合わせも会議も、電話、メール、チャット、スカイプ、テレビ会議etc・・・「移動して直接会う」必要性はほんと下がった。
プライベートでも、LINEでいつでもお喋りできるし、SNSで写真・動画つきで友達の近況を知ることができる。誕生日のメッセージだって送れるし、外国に住んでる友達ともスカイプで無料で話せる。ネットショップで買い物もできるし、人と直接会わなくてもできること、本当に増えた。
仕事もプライベートも、時間が節約できるし効率的になる。
ロシア人のお友達が、極寒の冬は友達とのやりとりもSNS中心になるって話をしてくれたことがあるんですけど、「会う」ってほんと「特別」なんですよね。
「贅沢」は、ちゃんと味わいたい
ちなみに、私は何をするにも「会う」必要があった昔に戻りたいなんて1mmも思ってません。言うまでもなく、面倒で無駄な打ち合わせとか会議なんて、ない方がいい。
ただ、「会う」という行為が選べるものになった今だからこそ、その「贅沢さ」はちゃんと味わいたいと思う。スマホ片手に適当に会話するなんて、ほんともったいないもの。(やっちゃうけどさ)
冒頭のホクロの話に戻るんですけど、あの日以来、自分の腕のホクロが目に入ると思わずフフッと笑ってしまう私。そして、なぜか乙一の「平面いぬ。」っていう小説を思い出しちゃったりする。
主人公が小さな犬(「ポッキー」と名付ける)の刺青を入れたら、それが体の表面を移動するようになって、身体中のホクロを食べちゃったりするチャーミングな話。もう10年くらい前に読んだ小説なのに、急に思い出した。
記憶って不思議。そして、これもきっと「会う」がもたらす副産物。
目の前の人と過ごす時間を、噛み締めて味わおう。
しっとりとお酒の染み込んだサバランの一口目のように。
焼きたてパンの、サクサクの食感と湯気立ち上るふわふわ感を楽しむように。
さて、もう金曜日。
週末の貴重な時間、あなたは誰と会いますか?
自分の心を溶かして温めてくれるのは、いつだって最高に「必要のないもの」と「ユーモア」だもの。