大好きなコーヒーが、最近飲めなくなってしまった。 ここ数か月妙な吐き気に悩まされていたのだが、よくよく考えると、どうやら私はコーヒーを飲んだあとに吐き気を感じているらしい。ブラックコーヒーはもちろん、ミルクを入れてもダメ。
コーヒー断ちを始めました
実を言うと、私は「オーガニックでデトックスで体にいいことしかシマセン」みたいなこだわりの強い健康志向が苦手な方だ。身体にいいものも悪いものも、こだわりすぎずに楽しくいただきたいものである。
とはいえ、やむなく始めたコーヒー断ち。
アールグレイやルイボスティー。
おしゃれ女子な私ですから、当然のことビジュアル重視で紅茶を買ってきた。家でコーヒー的なものを飲みたくなったら紅茶でしのぎ・・・
カフェではひたすらココアを飲み・・・
こんなブログ記事まで書いてしまった(そう、ココアは最高に美味しい!)
でも・・・でも・・・
紅茶もココアも、コーヒーじゃないんです。
こうして文字におこすと本当に当たり前過ぎるのだが、紅茶もココアも、コーヒーの代わりにはなれないのだ。
紅茶はけっきょく「お茶」なのでどこか物足りないし、ココアは甘すぎる。朝、カフェの前に立ち込める美味しそうなコーヒーの匂いを嗅いだだけで身悶える日々であった。
運命の日は、突然やってきた
さて、なんだかんだ紅茶とココアな日々にも体は慣れ、コーヒー断ちも板についてきた10月某日。
数少ない大切な女友達の誕生日を祝うという大役に抜擢された私は、レストランを予約し、プレゼントのアクセサリーを作ってカードも用意し、久しぶりに会った友達と素晴らしい時間を過ごしていた。
ビール、ウイスキー、ワイン。(私も友達もお酒好きである)サラダ、カニの唐揚げ、魚介料理、そして巨大なステーキまで平らげ・・・
満腹で倒れそうな私たちに、ウェイターのお兄さんは爽やかに提案した。
「食後のコーヒーなどいかがですか?」
「食後のコーヒーなどいかがですか?」
「食後のコーヒーなど・・・」
悩んだ。非常に悩んだ。
この数か月、お店でこう言われるたび、いつも悲しみに震えながら紅茶を選んできた。だが今日くらい、良いのではないか?大事な友達の誕生日に、紅茶やココアで妥協していいのか?
NOだろう―そんな生半可な気持ちで女友達を祝おうなど、許されざることだ。いける。今日は行ける気がする。さあ、勇気をもって踏み出すのだ・・・
「はい、コーヒーをお願いします」
現実には1秒くらいであったが、これだけの葛藤を経て私は久しぶりのコーヒーを注文した。
結果、
素晴らしかった。
いや、まさに、それは素晴らしいの一言に尽きた。今までで最高に美味しい一杯となった。
コーヒー断ちをする前、無感覚で飲んでいた「当たり前のコーヒー」と違い、この久しぶりにいただいた「奇跡の一杯」の美味しさといったら・・・私は、次はいつ飲めるか分からない奇跡のコーヒーを、心行くまで堪能した。三個のケーキとともに(注:時刻は夜23時)
まとめ
今後も、また身体からのOKサインが出るときまで、コーヒーはお預けの日々である。意識せずとも口にしていたものを断つのは、すごく悲しい。
でも、だからこそ、最高に美味しい一杯が待っているのだ。
コーヒーだけじゃない。砂糖断ち、恋愛断ち、愛情断ち、SNS断ち。もしかしたら自己啓発本断ち。
なんでもいいのだけれど無意識に取り入れて、「もっともっと」と更に強い刺激を求めるようになったら、あなたの心は疲れてしまう。食べ物なら胃や腸に支障を来すかもしれないけど、それ以外はなかなか気づかない。自分の心がいつの間にか疲弊していることに。
刺激を抑えるからこそ、本当の良さがしかるべき時にわかる。そういうのって、あるような気がするのだ。
「いや・・・もうずっと断っている気がするけれど・・・」
自らの可愛さに絶大な自信を持つ緑くんであった。
Sweet+++ tea time
ayako