お金の使い方って面白い、と私が思う瞬間。

f:id:sweeteatime:20151027170323j:plain

世の中には1000円のランチがあるかと思えば、1000円のコーヒーがある。
どちらも「女子」にはたまらないものである。

 私の妹はしょっちゅう自分の洋服やバッグの値段を言いたがるため、実家に帰るとよく母にたしなめられているのだが、女子ならみんな、その気持ちがわからなくもないと思う。

高かったものであれば「奮発した自分」「こんな高価なものを買った自分」を、逆に安かったならば「こんな掘り出し物を見つけた自分」を自慢したいわけである。

 

 「女子」という生き物は・・・

f:id:sweeteatime:20151027182404j:plain

「1000円のランチ」を食べたとき(700円でも800円でも良いのだが)、女子は興奮する。

「こんなに美味しいパスタに、サラダに、プチデザートと、コーヒーまでついて1000円なんだよ!?信じられない!お得!」

しかし、そうやって女友達とイタリアンの店ではしゃいだかと思えば、「1000円のコーヒー」でひとり大人の満足感に浸っている午後もある。

「こんなに素敵な空間で、ハンドドリップのコーヒーに、おしゃれな北欧の陶器・・・贅沢でいいわぁ。やっぱりこういうところのコーヒーは、全然違うよね・・・」

と、こうである。

ホテルのラウンジや高級なコーヒー専門のお店で。
いつもより美味しい気がするコーヒーと、自分の家の食器棚には絶対に並んでいない器と、静かな空間や音楽、サービス。

「1000円のコーヒー」(800円でも1500でもいいのだけど)は充分に女子の心をくすぐるのである。

 

驚くべきことは、1000円のランチの中にもコーヒーが入っているという点である。

そういう「お得なオマケのコーヒー」と「一杯に1000円を払うコーヒー」はまったく別の飲み物と言っていいくらい異なる価値を持つ商品なのだ。

 

モノの向こう側にあるものを知る

f:id:sweeteatime:20150930204528j:plain

もし、節約以外の視点を全く持たない人がいるとしたら(そんな人は現実にはいないと思うが)、生活はとってもラクだと思う。

「とにかく一番安い物を買います」
「基本的に、物は買わないって決めています」

というのは潔かったりカッコ良かったりするけれど、実のところ何も考えなくて済むから、ラクである。だからこそ世の中はシンプルな法則が求められるのだろう。

一方で、

「とにかく高い方を買います」
「高ければいいものに間違いないだろう」

というのもまた根は同じ発想である。(一度口に出してみたいが・・・)

 

f:id:sweeteatime:20150927002315j:plain

買い物は「モノと貨幣の交換」という単純な話ではなく、人はモノの向こう側にある無数の「目に見えないもの」を手に入れているのである。

お得感、見つけ出した誇り、時間、エネルギー、感動、ステイタス、審美眼、寂しさを埋める何か、充実感、遊び心、たくさんの喜び、成功や失敗の経験。

時には「あ〜どうしよう!?」と天使の自分と悪魔の自分を戦わせながら、毎回、自分で考えてお金を使う。

その時、その場所、そのシーンで、自分や相手の喜びを最大限にする商品の価値を測りながら。

 

f:id:sweeteatime:20151027183046j:plain

その日のランチ、通りすがりの不思議な小物、「運命の出会い」かもしれない可愛いお洋服・・・しょっちゅう天使と悪魔を心の中で戦わせている私だけれど。

呼び出し回数が多すぎて天使も悪魔も「もうどっちでもいいじゃん。休ませてくれ」と休戦協定を勝手に結び出しそうな勢いの私だけれど。

 

自分も、一緒にいる人も、その瞬間が最高に輝くような楽しいお金の使い方ができるようになりたいものである。

 

f:id:sweeteatime:20151027185202j:plain

 

緑くんを連れてきてくれた夫のスバラシイ審美眼に、感謝・・・?