誕生日。大人になると、別にふつうの一日だ。
ふつうに仕事に行って、ふつうに会話して。あたりまえだけど世の中のひとは今日が私の誕生日なんて、誰も知らないのである。
朝起きたときから「特別な日」、家族でお祝いしたり賑やかだった子ども時代の誕生日なんて、思えばとっても恵まれてたのだ。
ひっそりと迎える23歳の誕生日の朝、会社に向かう通勤電車の中で私は思った。
「そうか…大人になったんだなぁ!」
お酒が飲めるようになるより車の免許を持つよりも、「大人になる」ということが、ずっとしっくり来た瞬間だった。
そんな遠慮がちで控えめな「ふつうの日」に、「お誕生日おめでとう」のシンプルなメールが久しぶりの友達から届く。
何かの会話の端を覚えていてくれて、「今日って誕生日だったよね」なんてさりげなく言われる。
気恥ずかしいけど、やっぱり嬉しかったりする。
誕生日だけじゃなく。
前に一度会っただけなのに、ふつうに名前を呼んで話しかけられたとき。
ちょっと会話に出てきただけのことを、心に留めていてくれる人がいたとき。
「あのときはこんなことで笑ってたよね」と、自分が忘れていたエピソードを大切にしてくれている人がいたとき。
心の温度がちょっぴりあがる。
覚えていてくれる、が大人のプレゼント
子どものときは、誕生日やクリスマスじゃないと買ってもらえないオモチャがあったりして、モノはそれ自体で最高のプレゼントだったと思う。
でも、大人になると本当に欲しいものはけっこう自分で買えてしまう。逆に、もらったものは好みじゃなかったりもするくらい(特に夫からのサプライズプレゼントは恐ろしい…)
家族や恋人ならお祝いやプレゼントも嬉しい。
でも大人の距離感のなかでは、さりげなく覚えていてくれる、そのことが最高のプレゼントだったりする。
目に見えない何かが心を温める
大人になってもらうプレゼントは、やっと買ってもらえたオモチャを手にするときの物質的で単純な喜びより、もうちょっと繊細な嬉しさである。
モノ自体よりも、心遣いや選んでくれた手間暇・・・モノのうしろがわにある「見えない何か」に心を温められたりする。
本当のプレゼントは、自分のことを覚えていてくれるひとがいることなのだ。
何でもない夜に、プレゼントが届いた
私はアクセサリーを作っていて、ショップやブログを更新し、注文の発送をしている。
とはいえ最近は、腱鞘炎や生活の変化もあって、すごくカタツムリペースの制作。なかなかショップに新作を載せることができないでいた。
そんななか、 とあるお客さまから「前に制作過程を載せていたピアスは、いつショップに並びそうですか?」と嬉しいご予約のメールをいただいた。
以前買ったピアスを日々身に着けてくださっているというメッセージも。
覚えてくださっている人がいること。日々ブログを読んでくださっている人がいること。
何でもない平日の夜に、突然のプレゼントをもらってしまった。
私も、誰かにそんなプレゼントができたらいいし、誕生日、嬉しかった心遣い…小さなことを大切に覚えていられる心の余白をもっていたい。
そんなことを思った、火曜日の夜。
いつも暇そうな緑くんからの、有難い助言であった。
心とスケジュールには、余白をね。
Sweet+++ tea time
ayako